Download - モンゴル・ゴビ地域の古代銅生産

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与史荀 先JOURNAL OF THE HIS丁 OR!CAL STUDY GROUP OF M:N!NG AND MEttALLURGY,JAPAN

No.62

平成23年 (2011)10月 12日

日 本 鉱 業 史 研 究 会

〒812-8581福 岡市東区箱崎6… 10-1九州大学総合研究博物館内

TEL 092-642-4297/FAX 092-642-4299

:SSN 1882-2452

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礫岩・ 玄武岩・ 安山岩

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砂岩・ 泥岩・

安山岩 (海底 )

酸性凝灰岩 (陸上 )

安山岩・玄武岩 ,

デイサイ ト(陸上 )

安山岩・玄武岩 (海底 )

砂岩・ シル ト岩・泥岩 (海底

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図 2 ゴビの地質→

2.ゴ ビ地域の地質

巨視的にみれば、南に位置する中国地塊

と北のシベ リア地塊 と呼ばれる大陸地殻に

狭在されたゴビ地域はダイナミックな地質

構造発達史を有する。火山弧から、大陸衝

突帯、大陸地塊へと地質環境が変化するこ

とに対応 して、斑岩銅鉱床、造山型金鉱床、

希土類元素鉱床と、形成される鉱床の種類

も時代とともに移 り変わる5)(図2)。

例えば、前出のウムヌゴビ県オユ・ トル

ゴイ鉱山は斑岩銅 。金鉱床で、その鉱化年

代は 378-362Maでデボン紀末にあたる。

3.踏査の成果

踏査は 2010年 6月 19日 から27日 にかけ

て実施 した。筆者以外

の参力日者は、Ch.アマ

ル トゥブシン (モ ンゴ

ル科学アカデ ミー考

古学研究所 )、 D.ガ ラ

ムジャブ (オユ・ トル

ゴイ鉱山会社顧問)、

村上恭通 (愛媛大学 )、

L.イ シツェレン (新潟

大学修士課程)で ある。

ガラムジャブ氏は地

質学者 で この地域で

何十年 にも亘 つて鉱

山の調査 を行い、オ

ユ・トル ゴイ鉱床の優

良部の発見者 で もあ

る。そ して、鉱床の調

査 の過程 で考古学の

遺跡 (岩絵・墓 。生産

址など)も また数多 く

発見 している。

今 回踏査 した遺跡

(図 3)は、ウムヌゴ

ビ県 (南 ゴビ県)オユ

ト・ トブゴル遺跡 (採

掘址 )、 オユ・ トルゴ

イ遺跡 (採掘址)、 ヤ

マー ト遺跡群 (採掘址と製錬址 ;図 4)、 ゼ

ル ト遺跡群 (採掘址 と製錬址)、 ジャブフ

ラント遺跡群 (製錬址)、 ドルノゴビ県 (東

ゴビ県)フ レル・ ウネグ遺跡群 (採掘址と

製錬址)、 トゥブ県 (中央県)ホスティン・

ボラグ遺跡 (製錬址)、 ハダ ト・ トルゴイ

遺跡 (採掘址・製錬址)で ある。ホスティ

ン・ボラグ遺跡は製鉄遺跡で、それ以外は

銅の生産に関連する遺跡である。

3.1採掘址

全ての地点において、露頭部分 (地表面・

崖面)で銅鉱石の採掘を行ってお り、坑道

掘 りは行つていない (図 5、 6)。 露頭の周

辺には銅鉱石の剥片や大型の石製ハンマー

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邦ハカス共和国のタガール文化 (紀元前 1

千年紀)に見られるような円柱状の定型化

した採掘具は確認 されていない。なお、露

頭の周辺では石器以外の人工遺物は採集で

きなかった。

32炉祉

採掘址のある丘陵部から草原や荒原に下

りて、比高差 2m前後の小さな丘の上に炉

址を確認できる (図 9)。 周囲には遮るもの

が無いため、風が強く吹き付ける。

ヤマー トlA遺跡のように、地表面からは

炉を確認することができないものの、銅滓

や溶解 した炉壁を大量に採集できる地点も

ある (図 10)。 流動性の高い炉外に流れ出た

滓や炉底に溜まったと考えられる滓、炉中

に残つた軽い滓、ガラス質に溶融 した炉壁

片など、様々な種類の銅滓が採集されてい

る3

フレル・ ウネグ遺跡のように複数の炉が

並んで確認される場合もある (図 11)。 この

地域では乾燥化 (砂漠化)力 顕`著に進行 し

ているため、現在は水の存在は確認できな

いが、旧流路の痕跡を確認することができ

たcつ まり、小河川沿いの小さな丘で製錬

を行つていたと推浜1さ れる。

今回の踏査では、少なくとも二つのタイ

プの炉が確認されている。一つは方形の炉

で、もう一つは円形の炉である。

方形の炉は、塊状ないしは板状の大きな

石を方形に組んで箱形を成 している(図 12、

13)。 内法は約 60 cm四 方で炉石の表面は溶

融 している。三辺では石が原位置を保って

いるが、残る一辺の石が残存していない。

天丼の有無は不明であつた。このような炉

はイスラエルのティムナ (Timna)遺跡 39

地点などでも見つかつている6)。

もう一つの円形の炉は方形の炉と比較 し

て小型の石を円形に並べて略円形を呈して

いる (図 14)。 内径は約 40 clllで ある。一部

の石は被熱により赤変 しているが、ガラス

質に溶融 していない。炉の周辺で溶融した

炉壁片が採取出来ることか ら、内面には粘

上を貼っていたことが推演1さ れ る。

発掘調査を行つていないため、両者の違い

が何に起因 しているのかは不明である。 ま

た、送風管 と思われ る資料が無いことや製

錬址の立地を考えると、自然送風で製錬 を

行つていた可能性 も考慮すべきである。残

念なが ら、どの地点においても地表面に木

炭が遺存 してお らず、木炭を採取すること

が出来なかった。そのため、その年代を推

し量ることはできない。

4.分析

ヤマー ト1採掘遺跡 (東経 106° 34′ 10″

654、 北緯 42° 54′ 02〃 822、 標高 1250m)とヤマー トlA遺跡 (製錬址、東経 106°

33′ 47″ 556、 北緯 42° 54ノ 05″ 252、 標高

1235m)の 資料を分析 した。両遺跡は直線

距離で 6∞ mほ ど離れているが、「採掘→製

錬」とい う一連の生産工程が想定 された (図

4)。

分析資料はモンゴル側の許可を得た上で、

日本に持ち帰った。分析は大澤正己氏 (た た

ら研究会)と 井澤英二氏 (日 本鉱業史研究会)

に依頼 した。

分析に供 した資料は、銅鉱石 1点 (Ml)、

炉内滓 2点 (M2、 N03)、 炉外流出滓 1点

(N04)である。このうち炉内滓は炉中部で

生成 したと考えられる軽質な滓 (M2)と 炉

底部に溜まった滓 (M3)の 2つのタイプを

選別 した。

顕微鏡組織観察、X線回折、化学成分分析

のデータを表 1に提示 し、分析成果の概要を

下に箇条書きする。

(1)銅鉱石 (ヽ 1)の主要脈石は石英や緑泥

石で、斑岩銅鉱床に存在する酸化銅鉱の可

能性が高い。化学組成から硫黄 (S)が 0.10%

と少なく、二酸化珪素 (Si02)が 73.8%と

高いことが特徴 として挙げられる。

(2)炉内滓 (N02、 3)の鉱物組成はガラス

地に微小銅粒 を晶出 している。炉内滓 (ヽ

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図 12 方形の炉 (ジャブフラン ト遺跡 )製錬llL(フ レル・ ウネグ遺跡)

図 13 方形の炉 (フ レル・ウネグ遺跡) 図 14 円形の炉 (フ レル・ウネグ遺跡)

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Sn 0 016Pb ―

S 0012Cu 93 964Fe 1 312Mn 0 045Tota1 96 876

l Ym● 2外観写真 Ym■2マクロ組織

図 15 炉内滓 (No.2)の顕微鏡組織

図 16炉内滓 (No.2)の EPllA調査

-6-

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6。 おわ りに 査を行つた。遺跡の年代は分析成果を待つ

ゴビ地域の銅の生産址について報告した。 必要があるものの、モンゴルでは初めての

これらは、中国内蒙古地域や南シベ リアの 製鉄遺跡の本格的な調査である。

銅生産との関わりを考えて行く上で貴重な 本報告は、平成 22年度の三島海雲記念財

資料であると言える。 団学術研究奨励金に基づく調査研究の成果

このような生産址はゴビ地域だけでなく、 の一部である。

他の地域 (た とえば トゥブ県8)ゃバャンホ

ンゴル県)で も確認 されているが、発掘調 引用文献お よび注

査や金属学的分析などは殆 ど行われていな 1)KhPeJec:Studia Archcolo」 ca・,9(1982),

いそうである。近年、鉱山開発やそのイン 255-293(in Mongolian).

フラ整備に伴 う緊急発掘がモンゴル各地で 2)D.Tseveendoj:Domodahini Sodlalin

数多く行われてお り、モンゴル人たちの手 Asoodal., 20(1989),H8‐ 123(in

で多くの遺跡が発掘調査 されている。それ Mongolian).

に伴い、今後は生産遺跡 (と くに鉱産)の 3)D.Tscvecndoゴ and D.Garamlav:Studia

発見が増えていくと推測される。 ArchcoloJca lnsutud HistoHaeAcadcmiacこの踏査により共同研究を行 う上での信 Sdendarum:19(2002),17-21 cn

頼関係を構築 し、20H年 2月 にモンゴル科 Mongohan).学アカデミー考古学研究所と愛媛大学東ア 4)渡辺寧,J.セルネン,A.バーサンドルジ:

ジア古代鉄文化研究センターの間で研究協 地質ニュース,621(2006),58-70

定を締結した。今後は、共同研究プロジェ 5)渡辺 (2006),lЫ d.

ク ト (''The History of Mongolian 6)B.Rothenberg, R.Tylecotc and P.Boydell:

Metallurgy")の 名の下で研究を推進するこ Chalconthic cOpper Smdung,(IAMS

とで、未解明の部分の多いモンゴルにおけ Monograph One,London,1978),pp.6-7.

る金属生産の歴史を明らかにしてく所存で 7)J.Park,W.Honeychurch and Ch・

ある。 Amartuvshin:Journal ofArchacological当面は鉄生産の研究が中心となるものの、 Sdencc.,384(2010),805‐ 817

銅生産の研究も継続 して行 う予定である。 8)ト ゥブ県ハダ ト・ トルゴイ遺跡のサンプ

本年度はホスティン・ボラグ遺跡の発掘調 ルの分析も行つている。

-8-