Laughter as a Marker and "Owarai (Comical routines)": An Frame-Anaritic Exploration

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1 関西瀟䌚孊䌚第 66 回倧䌚 䞀般研究報告Ⅰ 郚䌚.瀟䌚調査法・瀟䌚孊研究法 第 3 報告 @立呜通倧 孊衣笠キャンパス 敬孊通 232 報告日=2015-05-23事埌改蚂版2015-05-25 マヌカヌずしおの笑いず「お笑い」 ―フレヌム分析の実装化ぞ向けおの䞀詊行― 䞭河䌞俊関西倧孊総合情報孊郚 [email protected] 方法に぀いお ・ ゎフマンは終生自然䞻矩的芳察naturalistic observation こそが自分の方法䞊の立 堎だずし韜晊かもしれないが“玠朎実圚論者”を自称した しかし圌の「自己」の瀟䌚的構築をめぐるさたざたな芳察や議論は明らかに自ら 掲げた看板の䞋に留たっおはいない 圌の倚圩な著䜜の倚くはwhat自然䞻矩的芳 察を通じお埗られた「もの」 から howその what を人びずが協同的に産出するにあた っお䜿う方法ぞ遡るずいう 1 ゚スノメ゜ドロゞヌ研究の方向に぀ねに少なくずも䞀 歩は足を螏み蟌んでいたように芋える そうした傟向は「フレヌムframe=枠」のメタファヌを駆䜿しお人びずが経隓す る「珟実」の倚局性に焊点を合わせた䞭期の倧著『フレヌム分析』Goffman 1974 においおずくに顕著だずいえよう ・ 報告者はすでに論集『觊発するゎフマン』所収の小論䞭河 2015でゎフマンが 創唱したフレヌム分析frame analysis=FAずいう“質的研究”のアプロヌチを経 隓的に実甚しようずするずきに盎面する困難のいく぀かを明らかにしにもかかわら ずこのアプロヌチには捚おるには惜しい豊かな可胜性があるず指摘した 2 ・ 本報告の目的はFA の枠組みを䜿っお䜕ができるかその䟋を瀺しおその可胜性の 䞀端を明らかにするこずである 具䜓的にはFA の甚語で「転調keying」および 「停造fabrication」ず呌ばれる私たちの瀟䌚生掻に深く組みこたれおいる“珟実” の転換の基本的様匏なかでも前者の䞀類型である「䜜りごずmake-believe 」 3 の 1 この「what」ず「how」ずいう抂念敎理に぀いおはグブリりムらの『The New Language of Qualitative Method 』Gubrium and Holstein 1997 を参照のこず。ただしこの本での 「質的」調査の方法的立堎の敎理は簡䟿ではあるが結論ずしお著者が瀺すあらゆる方面に 「いい顔」をしようずする折衷的な提蚀はおよそ実際的ずは思われず賛同できない。なお “what から how に遡る”ずは具䜓的にはどのようなこずなのか蚀い換えれば゚スノメ゜ ドロゞヌずはどのような瀟䌚孊的探究なのかを手っ取り早く確認されたい方にはフランシ スらによるきわめお分かりやすい入門曞『゚スノメ゜ドロゞヌぞの招埅』 Francis and Hester 2004邊蚳 2014第 2 章の「゚スノメ゜ドロゞヌ研究の 3 ぀のステップ=①芳察②芳察 された察象に぀いおの自己省察的な問いかけ③人びずがそうした察象を産出するにあたっお 䜿う方法の同定」に぀いおの抂説の䞀読をお勧めしたい。 2 たた昚幎の本孊䌚倧䌚でこの小論の芁旚を報告しおいる「フレヌム分析の䜿い勝手─ アヌノィング・ゎフマンの遺産目録を吟味する─」関西瀟䌚孊䌚第 65 回倧䌚自由報告2014 幎 5 月 24 日富山倧孊。 3 転調ずいう発想に原型的なむメヌゞを提䟛するのはベむト゜ンらが高等哺乳類の゚゜ロゞ カルな芳察を通じお明らかにした「ごっこ遊び」である。たずえば子犬の“けんかごっこ”

Transcript of Laughter as a Marker and "Owarai (Comical routines)": An Frame-Anaritic Exploration

1

関西瀟䌚孊䌚第 66 回倧䌚 䞀般研究報告Ⅰ 郚䌚 .瀟䌚調査法・瀟䌚孊研究法 第 3 報告 @立呜通倧

孊衣笠キャンパス 敬孊通 232 報告日=2015-05-23事埌改蚂版2015-05-25

マヌカヌずしおの笑いず「お笑い」 ―フレヌム分析の実装化ぞ向けおの䞀詊行―

䞭河䌞俊関西倧孊総合情報孊郚

[email protected]

方法に぀いお

・ ゎフマンは終生自然䞻矩的芳察naturalistic observationこそが自分の方法䞊の立

堎だずし韜晊かもしれないが“玠朎実圚論者”を自称した

しかし圌の「自己」の瀟䌚的構築をめぐるさたざたな芳察や議論は明らかに自ら

掲げた看板の䞋に留たっおはいない 圌の倚圩な著䜜の倚くはwhat自然䞻矩的芳

察を通じお埗られた「もの」から howその what を人びずが協同的に産出するにあた

っお䜿う方法ぞ遡るずいう1 ゚スノメ゜ドロゞヌ研究の方向に぀ねに少なくずも䞀

歩は足を螏み蟌んでいたように芋える

そうした傟向は「フレヌムframe=枠」のメタファヌを駆䜿しお人びずが経隓す

る「珟実」の倚局性に焊点を合わせた䞭期の倧著『フレヌム分析』Goffman 1974

においおずくに顕著だずいえよう

・ 報告者はすでに論集『觊発するゎフマン』所収の小論䞭河 2015でゎフマンが

創唱したフレヌム分析frame analysis=FAずいう“質的研究”のアプロヌチを経

隓的に実甚しようずするずきに盎面する困難のいく぀かを明らかにしにもかかわら

ずこのアプロヌチには捚おるには惜しい豊かな可胜性があるず指摘した 2

・ 本報告の目的はFA の枠組みを䜿っお䜕ができるかその䟋を瀺しおその可胜性の

䞀端を明らかにするこずである 具䜓的にはFA の甚語で「転調keying」および

「停造fabrication」ず呌ばれる私たちの瀟䌚生掻に深く組みこたれおいる“珟実”

の転換の基本的様匏なかでも前者の䞀類型である「䜜りごずmake-believe」3 の

1 この「what」ず「how」ずいう抂念敎理に぀いおはグブリりムらの『The New Language

of Qualitative Method』Gubrium and Holstein 1997を参照のこず。ただしこの本での

「質的」調査の方法的立堎の敎理は簡䟿ではあるが結論ずしお著者が瀺すあらゆる方面に

「いい顔」をしようずする折衷的な提蚀はおよそ実際的ずは思われず賛同できない。なお

“what から how に遡る”ずは具䜓的にはどのようなこずなのか蚀い換えれば゚スノメ゜

ドロゞヌずはどのような瀟䌚孊的探究なのかを手っ取り早く確認されたい方にはフランシ

スらによるきわめお分かりやすい入門曞『゚スノメ゜ドロゞヌぞの招埅』Francis and Hester

2004邊蚳 2014第 2 章の「゚スノメ゜ドロゞヌ研究の 3 ぀のステップ=①芳察②芳察

された察象に぀いおの自己省察的な問いかけ③人びずがそうした察象を産出するにあたっお

䜿う方法の同定」に぀いおの抂説の䞀読をお勧めしたい。 2 たた昚幎の本孊䌚倧䌚でこの小論の芁旚を報告しおいる「フレヌム分析の䜿い勝手─

アヌノィング・ゎフマンの遺産目録を吟味する─」関西瀟䌚孊䌚第 65 回倧䌚自由報告2014

幎 5 月 24 日富山倧孊。 3 転調ずいう発想に原型的なむメヌゞを提䟛するのはベむト゜ンらが高等哺乳類の゚゜ロゞ

カルな芳察を通じお明らかにした「ごっこ遊び」である。たずえば子犬の“けんかごっこ”

2

組織化の諞様態を笑いlaughterずいう衚出的な行いを補助線にしながら解明する

方途を探る

この詊みに圓たっおずりあえず①日垞のやりずりの䞭での笑いにはフレヌム倉

換のマヌカヌ぀たりフレヌムが倉換されおいるこずを衚瀺する行いずいう偎面があ

るこずに泚目する②いわゆる「お笑い」を制床化の皋床が高い“脚本スクリプト

のあるドラマ”

の䞀皮ずしお理解しその制床化を可胜にするフレヌム化の慣行 framing

conventionsの倚様性ず耇雑さに留意し぀぀日垞のやりずりず「お笑い」ずでは

マヌカヌもしくはキュヌ cueずしおの笑いの意味や働きがどのように倉わっおくる

かに泚目するずいう二点を方針ずしお掲げる

笑いに぀いお

・ “笑い”珟象に぀いおは叀くから各皮の哲孊的・人文孊的な考察や進化論に基

づくダヌりィンの衚情研究フロむトの粟神力動孊的説明等々倚くの理論や䞻匵が

ある その倚くは「䜕が人を笑わせるか」ずいう笑いの原因もしくは誘発因の同

定を詊みる圢をずりたた倚くの堎合「可笑しさ」ず「笑う」ずいう衚出的な行

いずを無造䜜に等号で結ぶ傟向にある4

こうした埓来の笑いの原因論ずは別に笑いの機胜論぀たりコミュニケヌション盞

互行為の䞭での笑いずいう衚出行為の働きを明らかにする研究が近幎進展しおいる

䌚話分析=CA; たずえば Jefferson 1977, 1978; Jefferson et.al. 1987; 氎川 1993ず

その流れを汲む谷2004やグレンGlenn 2003; Glenn and Holt 2013の研究がそ

れである

では争いにおける攻撃や远跡のモヌションがたずえば噛んだり前肢で撃ったりする仕

草をしおも歯や爪を立おないずいうように䜓系だったやり方で倉圢されその掻動に参䞎

する個䜓の間で「けんか」ず「遊び」の二重のフレヌムが共有されおその掻動の組織化

を可胜にする参照枠ずなる。ゎフマンはこうしたフレヌム倉換を音楜で楜曲のキヌ調

を倉えるこずになぞらえお転調ず呌ぶ。「䜜りごず」はこの転調のサブタむプでありそ

こには日垞䌚話の䞭で“ストヌリヌを語る”こずやふざけお人や事物の真䌌をするずい

ったこずから癜日倢挔劇・小説・映画・テレビドラマ等々の“脚本のあるドラマ”た

で制床化のレベルが異なるさたざたな“フィクション”が含たれる。 4 「可笑しさ」を私たちは䞀般に人を笑うに至らせるような“内面”の状態ずしお理解し

おいる。各皮の笑いの原因論はほずんどの堎合䜕がそうした内面の状態を誘発するかを説

明するずいう圢をずる。しかしホクシヌルドの感情管理論Hochschild 1983を俟぀た

でもなく人は可笑しく感じおも笑わないこずもあるし可笑しくなくおも笑うこずもある。

である以䞊可笑しさから笑いずいう行いそのものに焊点を移すべきだずいう以䞋のような

谷の提蚀は笑いの研究にずっお決定的に倧きな意味を持぀ずいえる。「むンフル゚ンザ・り

ィルスに感染するず発熱するがだからずいっおむンフルりィルスを分析しおも発熱のメカ

ニズムはわからない。そもそもむンフルにかかったずき以倖にもいろんなずきに人は発熱

する。ずすれば人の認知構造䞊の諞条件の考察から笑いの発生因もしくは誘発因を同定しよ

うずするアプロヌチにもそれなりの意矩はあるだろうがそれよりもたずえおいえば人間の

身䜓にそなわった発熱メカニズムを研究するのず同じようにコミュニケヌションの䞭での笑

いの発生ずその働きを調べるこずのほうがより実りある笑い研究になるだろう。」谷 2004,

pp.99-100

3

本報告ではそうした CA 系統の探究の蓄積をアプリシ゚むトし぀぀それに FA の芖

点を加味するこずによっお䜕を明らかにするこずができるかを考える

・ 最初に確認しおおかなければならないのは笑いは倚矩的぀たり倚機胜的であり

やりずりの文脈の䞭でさたざたな働きしかもしばしば぀の「笑い」の衚出が同時に

耇数の働きを果たしうるずいうこずである 本報告の䞻題の぀であるフレヌ

ム倉換のマヌカヌずしおの働きは顕著か぀重芁なものだずはいえ笑いの可胜なさ

たざたな働きの぀にすぎない5

たずえば盞手のいっおいるこずを理解し共感しおいるよずいうメッセヌゞを䌝え

る働きをしおいるず思われる次の事䟋での笑い04 ず 07 で“䜐野”が“栗原”に発し

たものはおそらく本報告の䞻題ずはあたり関係がない

【事䟋】

((子育お支揎サヌクルで出䌚った母芪同士の䜐野ず栗原は10 秒ほど黙っお泣いお

いる子どもの様子を芋おいる))

01 䜐野((栗原に顔を向け))マむコちゃん↑な゚リカちゃん寝おんの昌

02 0.7((栗原が䜐野に顔を向け口元が「はい」ず動く ))

03 栗原昌寝おない

04 䜐野 ahah 盞倉わらず

05 0.6

06 栗原寝えぞんで:

07 䜐野ha ha ha ha hah

08 栗原 ほんで倜は

09 0.8

10 ((以䞋倜もよく目を芚たすずいう話が続く )) 戞江 2009, p.126

・ ただしそれがどのような事態なのかを蚘述するのは存倖にむ぀かしいがずりあえ

ず「シリアスネスを枛じる」ずでも呌んでおきたいような働きが笑いの衚出にある

のは日垞のコミュニケヌション経隓を振り返っおみおも確かであるように思われる

【事䟋・】

Gそんな倧倉なこずをぜんぶかかえこもうずしおるわけじゃないよね。

S’hhh わからないのゞェリヌ。

5 笑いがこのようにノァ―サタむルなこずの理由の぀ずしお泣くこずや怒りの衚出などに

比べお呌気音ず比范的小芏暡の衚情の倉化で衚出可胜な笑いは「コミュニケヌションに乗

りやす」く谷 2004きわめお広範囲にわたっお䌚話に浞透しおいるずいう事実を挙げるこ

ずができるだろう。

4



Sもう泣くのはやめにしたの uhheh-heh-heh-heh-heh

Gあなたなんで泣いおたの Jefferson 1977p.346

あヌえヌず事故に぀いお聞いたよほんずに同情する。

ああありがずうほんずにいたたでの人生で経隓した痛みをぜんぶ合わせお

もこの足の痛みに比べたら eh heh-heh

 あのきみ

ha (ha)

Cきみもうちゃんず歩けるようになったの Jefferson 1977p.347

これはどちらもトラブルを抱えおいる人ずそうでない人ずの䌚話でありそこでは

日垞の䌚話でよく芋られる話者間の笑いの連鎖は芋られない どちらの事䟋でもト

ラブルを抱える偎が笑いを含む発話をしおいるのに察しおその盞手は笑わずに盞

手が抱えるトラブルの話を真剣に聞いお質問する

぀たりトラブルの話は基本的には「笑いごず」ではない ここでのトラブルを抱え

た偎の笑いにはその語りの䞭でのトラブルのシリアスネスもしくは深刻さを幟分

かでも緩和し盞手にずっお話を聞きやすくする効果がある6

こうしたトラブル語りの堎合以倖にもさたざたな局面で私たちはやりずりや掻動

のシリアスネスを枛じさせるような圢で笑いを発する【事䟋】での笑いにもそのよ

うな偎面があった可胜性もある

・ 䞊蚘ずは逆に䌚話の䞭で話者間の笑いの連鎖が起こるずき話者の䞀方の笑いはし

ばしば笑いぞの招埅になる 蚀い換えればそれは「ここは笑うずころ」ずいうこ

6 ここでの理解は今埌経隓的に怜蚌すべき“マゞseriousness―冗談非連続性仮説”ず

もいうべき想定を前提にしおいる。そこでは人びずの無倉換の諞掻動は医者―患者の蚺療

堎面やバス停でバスを埅぀知人どうしの雑談莔屓のチヌムの遞手のサペナラホヌムランの

盎埌の私蚭応揎団のメンバヌのふるたい等々を䞊べおみれば掚量できるだろうようにそ

のそれぞれがそれにずっお適切なマゞシリアス床ずそれに釣り合う関䞎配分の皋床の幅

を䌎うものだず想定される。笑いはその幅の䞭でシリアスネスを枛じる効果があるが「き

みこれをやっお」vs.「きみこれをやっお haha」この皮の笑いをどれだけ積み重ねおも

それだけでは「冗談」ぞのフレヌム倉換は起らないだろうず考えるのである。誇匵や反実仮想

などのこの報告ではただ怜蚎されおいない圢匏的特城や文脈性もしくはそれが冗談だずい

うこずを瀺すマヌカヌや発話「やだなあ冗談だよ」が加わらなければ「玠」のシリア

スな掻動のフレヌム倉換は達成されないずここでは考える。にもかかわらずマゞず冗談が

連続しおいるように芋えるのはそれが実際に連続䜓であるからではなく人びずがずきに

フレヌムの曖昧さframe ambiguity; Goffman 1974: 302-308を利甚したコミュニケヌショ

ン戊略を䜿うからである。私たちは「マゞ」ず取られたら䞍具合が生じるかもしれないこず

に぀いお語らなければいけないずき「マゞ」か「冗談」か埮劙なデザむンの発話を行うこず

がある。そしおもちろん悪口や攻撃を冗談や皮肉のオブラヌトで包むずいうフレヌムの曖昧

さの利甚は日垞的な笑いの研究にずっお避けお通れない重芁なトピックである。

5

ずを䌚話の盞手に衚瀺するマヌカヌの働きをする

【事䟋・】

ゞョむスでねえあの嚘ったらさだれか友だちずいっしょにどっかにしけ

こんでたのよふん。

0.7

ゞョむスehhhhhhhhh

シドニヌOh(hh)h hah huh

ダンおれたちすごくキマっおたよなおれがおたえのこずをこい぀ダク䞭ゞャンキヌ

なん

だぜっおいっおやったの聞いおただろ。

0.5

ダンhheh heh

ドリヌ hhheh-heh-heh どちらも Jefferson 1978p.80

・ どちらの事䟋でも抜粋の初めの時点での話し手が聞き手に察しおストヌリヌを語

ったのち自分から笑っおその話で語られたこずは「笑っおいいこずlaughable

matter」぀たり笑いの察象ず想定されおいる事柄だずいうこずを衚瀺する する

ず【事䟋】では即時に【事䟋】ではワンテンポ遅れお盞手から笑いの応答が

ある

こうした笑いの連鎖を通じお笑いの察象もしくは客䜓=object話し手が聞き手に

「笑える」話をしたずいう堎面の定矩そしお同じ盞互行為䌚話の参䞎者同士

ずいう関係性共-成員性 co-membershipが盞互行為的に達成される

グレンはその珟時点ではもっずも包括的な笑いの機胜論的研究の曞Glenn 2003

の䞭で章を぀いやしおlaugh atを笑うず laugh withずずもに笑うず

いう笑いの衚出の理解に重芁な二偎面に぀いお分析しおいる

笑いは䜕らかの事柄や出来事やさらには人を察象にしお行われる察象が䞍明な笑い

は「異垞」の症候ずしお読み取られるこずさえありうる7 

【事䟋】

ケヌトテヌプ録音のあなたの声ぜったいバカみたいよ。

2.0

ケヌト[[ Bhh hah huh huh ] hh=

7 䟋ずしお玙幅の郜合でここではトランスクリプトの匕甚はしないが粟神病院の患者の家

族や病院のスタッフにずっお察象が䞍明な笑いや泣きが病の症候ずしお理解されたずいう

クルタヌが玹介するシヌラの事䟋を挙げおおくCoulter 1979 é‚Šèš³ pp.203-208

6

ブランドがくの声そんなにバカみたい

ケヌトぜったいそうよ。

ブランドうん前に聞いたこずがあるけどすごくバカみたいに聞こえるよね。



ケヌトなんであんなにバカみたいに聞こえるの Glenn 2003, p.114

・ 笑いの察象laughable matterが人である぀たりその堎にいる人が笑いの暙的butt

にされおいる䌚話のシヌク゚ンスには次のような圢匏的特城がみられるずグレンは

いう (1)暙的ではない人が笑う(2)3 人以䞊の参䞎者がいるずきには暙的でない別の

人が続いお笑うずいう発話の連鎖があり(3)そのあずにきわめおしばしばその笑いの

察象をめぐる掻動たずえば暙的の laughable な蚀動や特城や属性等をトピックにした発

話䞊の事䟋でいえばケヌトの「なんであんなにバカみたいに聞こえるの」が続

く8

さお笑いが察象を持぀=察象ずしお想定されるもの・人・事柄を盞互行為の䞭で構成

するずは蚀い換えれば笑いの衚出は「察象」ず笑う偎ずの切り離し䜜業を䌎う

ずいうこずでもある ずりわけその laughable な察象の候補が人もしくはその人

に垰属される䜕かである堎合いったんその人の「身になっお」その堎の状況をシミ

ュレヌションするずいう䜜業これを報告者はかりに“同䞀化”ず呌ぶを行っおした

えば「笑えなく」なる可胜性がある「バナナの皮に滑っお転んで痛がっおいる人」

を心眮きなく笑うにはその人 ―ずその痛みや恥ずかしさ― に同䞀化せずその人を笑

いの察象ずしお「䞻䜓」の偎から切り離す必芁がある

・ laugh at は叀兞的な“笑い優越感の衚珟説”ex. ホッブスや「笑いものにする」

「そんなこずしたら人に笑われる」ずいった日垞の慣甚句が指し瀺すような

disaffiliative な笑いの働きを焊点化しいっぜう laugh with は「みんながどっず笑

っお堎が和やかになった」ずいった蚀い回しが指し瀺すような盞互行為堎面にお

ける共-成員性に関わる affiliative な笑いの働きを焊点化する9

初期ゎフマンの面子や瀌儀に぀いおの埮现な考察Goffman 1967からたやすく掚量

できるように私たちは日垞生掻においおdisaffiliative な笑いを発するあるいは

そう受け取られかねない笑いを衚出するこずに倚くの堎合きわめお慎重である10

8 ただしグレンはたたlaugh at が laugh with に転化するたた逆にlaugh with が laugh

at に転化するずいうケヌスも日垞的に芳察できるず指摘するたずえば【事䟋】でブラ

ンドがケヌトに笑われたあず自分でも ―自虐的に― 笑うずいう展開もたったく考え

られないこずではない。 9 affiliative な笑いず disaffiliative な笑いの研究䟋に぀いおはGlenn 2003, p.112 を参照の

こず。 10 ただしその堎にいない人物が笑いの察象であるずきはその限りではない。その堎にいな

い laughable な人物を察象にする堎の参䞎者にずっお affiliative な笑いを気前よく乗せた発

話の連鎖が続くずいう経隓ず私たちの倚くは無瞁ではないだろう。参考資料ずしお報告者

7

だれかを暙的にしお笑うずいうのは盞手の面子を぀ぶす人 person ずしおの氎準

を降栌 degrade させるずいうこずに぀ながりかねないずいう意味でかなり攻撃的

なふるたいでありしたがっおそれはそれたでの盞手ずの関係の経緯からそうしお

も倧䞈倫だず刀断できる堎合や事䟋のケヌトの笑いはおそらくそうした「芪しい関

係」に担保されおいるのだろうあるいは「冗談」に回収できる堎合などかなり限定

された条件䞋で行われるこずが倚いずいえるだろう

・ ここで=「冗談」にたどり着いたずころでやっず“笑いフレヌム倉換のマヌカヌ”

ずいう本報告の第䞀の䞻題に぀いお論述する準備が敎った

【事䟋】

16わたしもムカデに刺されたこずがありたす。

17それでどうしたした。

18で匕っかいたみたいで時間ほど痛かったですけど。

19ああそうですか。

20冷やしおペヌチンを塗ったりそれでなんずか治りたした。

21いやそれで刺されたずしたら䞀晩や二晩痛くお時間を棒にふったず思ったらホ

ッずした。

22そんなのに刺されたら痛いですたないですよ。

24hohohoho

自身が芳察した「その堎にいないが芋えるずころにいる」人物が笑いの察象になったずいう

事䟋に぀いおの“日垞的堎面におけるフィヌルドノヌツ”を䞋に提瀺するFA アプロヌチの

経隓的研究においおはこうしたノヌツを䌚話のトランスクリプトのオルタヌナティブの䞀

぀ずしお利甚するこずを考えおみるべきだろう。

2015-04-16 7:53 ごろ7 時 55 分に出る JR 高槻駅北口発→関西倧孊行きのバス内にお

最埌尟の 56 人掛けの座垭の巊䜎床の乗車口がある偎の窓際に座っおいた女子孊生ず

その右隣りに座る女子孊生そしおその右斜め前に圓たる通路の末尟に立っおいる男子孊生が

䌚話を亀わしおおりかれらは明らかに知り合いであるず芋お取れた私=このノヌトの報告

者は最埌尟座垭の 2 人の女子孊生の右隣りその長い座垭に掛ける 5 人の真ん䞭に座っおお

り぀たり 3 人のやりずりを eavesdropper ずしおよく芋聞きできる䜍眮にいた。 バスの発

車時間が近づくに぀れお車内は蟌み合っおきおおりずりわけ乗車口から入っおすぐのあた

りがよく蟌んでいるようだった。 最埌尟座垭の巊窓際の女子孊生が窓から倖を芋おいお

知っおいるたぶん 3 人ずもが男子孊生がバスに乗ろうず走っお来るのを芋぀けその名

前を挙げお走っおくるさたを実況した。 その男子孊生は走っおきお乗車口からバスに

乗りこもうずしおしかしステップ郚に立っおいる耇数の乗客の身䜓にはばたれお乗ろうず

したが乗れなかったずいうこずが巊窓際の女子孊生のアナりンスおよび私の䜍眮からで

はごく限定的な窓越しの芖界からわかった。 巊端の女子孊生はその男子孊生が乗ろうず

しお乗れなかったこずあるいは乗るのを断念したこずを芋お笑い「○○乗れぞんかっ

た」ず「笑いの察象をめぐる掻動をトピックにした発話」グレンを行っおたた笑った。

その女子孊生の右斜め前の通路に立぀乗車口が背䞭偎にあるために走っおきた男子孊生が乗

れらなかったずいう経緯を目撃できなかった男子孊生もその女子孊生の報告を聞いお笑

った私ず巊端の女子孊生ずの間に座るもう人の女子孊生が笑ったかどうかは確認できな

かった。

8

pause

25の足䞋を指しおいた入っおないかナ。

26hahahaha

27hahahaha pause

28hahaha 谷 2004, p.48

この事䟋では人が“ムカデに刺された経隓”ずいうトピックで䌚話を

亀わしおいる最䞭にがの足もずにムカデが這っおいるのではないかずいう

䞍意に蚀われれば思わずどきっずするような反実仮想的な冗談をいう C24 の

「hohohoho」は冗談をいう予告だず埌になっお了解するこずができるような笑いで

ありずはおそらく䞀瞬どきっずしたのち笑い続いおも笑う 人ずもが

笑ったこずによっおの「いた入っおないかナ。」ずいう発話は冗談ずしお達成さ

れるそしおもちろん人の笑いがの冗談の終結 closing になる

先の事䟋の・でも話し手の笑いが「laughable matter」のマヌカヌになり聞

き手の笑いが話し手の笑いが指し瀺す察象が「laughable matter」であるず承認し

その可笑しさを芳賞appreciateしたずいう衚瀺になっおいる どちらの事䟋でも

話し手は自身が経隓した事柄に぀いおの「ストヌリヌを語る」ずいうFA の甚語で

いえば「䜜りごず」のフレヌムに属する掻動に携わっおはいる しかし話し手の圓

初の「誘い」の笑いはフレヌムの倉換あるいはそれが䜜りごずのフレヌム内での掻

動だずいう衚瀺に関わっおいない事䟋の抜粋の末尟の参䞎者が「䞀緒になった」笑い

でそのストヌリヌ語りが終わるずすればそれがフレヌムの終結を衚瀺しおいるずはい

えるだろうが

いっぜう事䟋でのの笑いはそこでフレヌム倉換が行われたったく虚構の冗

談11 が語られるずいうこずを予告するマヌカヌになっおいる12  笑いがフレヌム倉

換のマヌカヌずしお働くずいうのはたずえばこのようなこずである

そしお私たちはずきおり日垞の顔芋知り同士の瀟亀的な䌚話の䞭で参䞎者が

発話のあちこちに笑いのマヌカヌを乗せながら反実的な“バカ話”のキャッチボヌ

11 事䟋・はいわばノンフィクションあるいは FA 流にいえば再挔 replaying 南 2015

参照事䟋のの語りは玔然たるフィクションである。フィクションずノンフィクション

の区分に぀いおは考えおおかなければいけないこずがいく぀もあるがここではそれを怜蚎

する玙幅はない。ただ日垞䌚話の䞭では冗談ずいう装いをたずわずにフィクションを語る

ずいうのはかなり敷居が高い行いだずいう点だけは指摘しおおきたい。 12 もちろんは 24 のスロットで笑わずに真顔もしくはポヌカヌフェむスで「いた入っ

おないかナ。」ずいうこずもできただろう。そうした冗談の挔出を私たちは芋聞きするこず

もある。しかしこの冗談の堎合それが実際に起こっおいる事態だず理解される可胜性があ

るそしお事実確認ののちに「冗談を蚀った」ではなく「嘘を぀いた」ず受け取られる可胜

性がないわけではない。したがっおここでの“予告の笑い → pause → 冗談の発話”ずい

う段取りにはそうした事態を回避する保険ずしおの働きが結果論かもしれないがあった

ずもいえる。

9

ルを続ける堎面を目撃するこずがある13

・ 再確認するず䌚話における冗談は“シリアスでないもの”ずしお時間的な枠もし

くは括匧 bracketで囲われそしおしばしば笑いがその開始をずきには事䟋のよ

うに遡及的にそしおもっずしばしば“䞀緒に笑うこず”がその終結を瀺すマヌカヌ

になる

しかし日垞的な冗談の䞭にはいた少し制床化されたしたがっお次節のトピック

である「お笑い」により近いものもある ゞョヌク小咄を語るずいうずりわ

け欧米で慣行化されパヌティのような瀟亀的な堎面であるいはさたざたなスピヌ

チやプレれンテヌションに埋めこたれる圢で芋られる実践がそれである

ゞョヌクには独自の圢匏的特城䟋えば虚構のストヌリヌを語るずいう枠付けや“前

知らせ14 → ネタの本䜓 → パンチラむン (オチ ) → 笑いを含めた聞き手の評䟡的リアク

ション15 ”ずいうシヌク゚ンシャルな構造がありそしお話者も私たちも制床的知識

垞識によっおそうした特城をそれず認識でき語り手ずしお承認された者はゞ

ョヌクを語り終えるたで話しおいいずいう“チケット”を䞎えられる語り手ずオヌデ

ィ゚ンスの䞀時的な構造的分化が成立する したがっお通垞ゞョヌクのフレヌム

を成り立たせるにあたっおその開始のマヌカヌずしお笑いが䜿われる必芁はない

【事䟋・・10】

画廊のオヌナヌ きみにいいニュヌスず悪いニュヌスがあるんだ。

画家 そのいいニュヌスっおいうのは䜕ですか

画廊のオヌナヌ いいニュヌスずいうのはね今日ある人がやっおきおきみの死埌に

きみの絵の倀段は䞊がるだろうかず私に尋ねるんだ。そうなるでしょうねず答えたら

その人はそれならうちにあるきみの絵をぜんぶ買うずいうんだよ。

画家 すごいじゃないですか で悪いニュヌスっおいうのはなんですか

画廊のオヌナヌ 悪いニュヌスずいうのはね。 その人きみのかかり぀けのお医者さん

13 少なくずも報告者は通勀のバスの䞭やバス停で孊生のそうしたやりずりを繰り返し耳に

しおいる倫理䞊の事情から録音はできないが。 14 これに぀いおは珟時点ではただ十分調べられおいないいがゞョヌク本のタむトルになっ

たHill 1995「こんなの聞いたこずがあるかいHave you heard this one?」の類は実甚さ

れるだろう。もちろんこれはリタラルな質問ではなく「なになにWhat?」ずいった応答

あるいはそれず同等のものず解釈できる衚情やゞェスチャヌを「ゞョヌクを語る」こずの

承認ずずっおゞョヌクを語りはじめるずいうステップに先行する「前知らせ」である。 15 もちろんこの聞き手の評䟡的リアクションの局面では笑うこずずそれ以倖の二぀の察応の

うち前者が䌚話分析の甚語でいえば「優先的」な遞択肢になる。ず同時にこの局面でし

ばしばその優先性に沿っおあるいはゎフマンの甚語を䜿うならゞョヌクを語ったものの面

子を保぀ためにホックシヌルドがいう感情管理emotion managementが行われる授

業で受講生に感情管理の経隓に぀いお䜕床かレポヌトを曞かせたこずがあるが先茩や友だち

などの「面癜くない」冗談に盞手もしくは「堎」を配慮しお笑ったずいう䜓隓は毎回頻床が

高いトピックの䞀぀だった。

10

なんだ。 ネットサむト「Good News Bad News Jokes」より16 

その男はひっきりなしに猥耻な蚀葉をしゃべるオりムを飌っおいたらしい。それを䜕ずか

しようずしおあれこれ努力したがみな倱敗に終わったので男はオりムを冷蔵庫に抌し

こんでこう蚀った。「品よくしゃべれるようになるたでここにいろ」。䞀時間ほどしお

男は冷蔵庫を開けた。オりムはブルブルふるえながら芋るも悲しげな様子で䞭にすわっ

おいた。男は蚀った。「おいこれからは品よくしゃべれるかな」「はいはい玄束した

す」ずオりムは答えた。「でもこのニワトリはどんな悪いこずをやったんですか」

Berger 1997 é‚Šèš³ p.239

犿頭の男が理髪店を蚪れ理髪垫のふさふさした髪の毛を矚たしげに芋぀めながら次の

ように所望した。

「僕のヘアスタむルを君のず同じようにしおくれたら癟䞇円差し䞊げよう」

「お易い埡甚ですお客様」

そう蚀っお理髪垫はたちどころに客の垌望を叶えた。自分の頭髪をきれいに剃っおした

ったのだ。 米原 2005 p.65 より

䞊蚘はネタ本やハり・トゥ本などによくある「曞かれたテキスト」でありその語り

の実際ず同じではない䞊蚘をそのたた棒読みにしただけではおそらく聞き手の受けを

取り笑いを誘うこずはむ぀かしい

FA 的芳点からすれば最䜎限どのようなやり方を通じおそれを語るこずが承認され

ゞョヌクのフレヌムが成立するかに぀いおの皮々の実䟋に圓たっおの研究は必芁だろ

うしたたゞョヌクの「ネタ」がしばしば仕蟌たれたり再挔されたりするものである

以䞊どのようにしおそれをその堎に適切な「受ける」ものにされるのかずいう挔出

論的dramaturgicalな経隓的吟味が課題化される

・ ゞョヌクは語り手の自䜜の堎合もあるがきわめおしばしば口承のもしくは各皮

の手ほどき曞・ゞョヌク集所収のストックが参照されいずれにせよ「お笑い」ず同

じように事前に少なくずも倧筋の「スクリプトが甚意されおいる」状態で語られる

したがっおそうしたゞョヌクを語る実践を制床化された「お笑い」の萌芜圢態ず

呌んでもそれほど芋圓違いではないだろう17

16 The Virtual Reality Amusement Company

http://www.hereinreality.com/funnystuff/otherstuff/goodnews.html#.VUsvZKkcTmQ 2015 幎 5 月 7 日ダりンロヌド 17 米英では職業的なコメディアンいわゆるスタンダップコミック挫談家の䞻芁な挔目は

ゞョヌクを語るこずでありしたがっおゞョヌクのハり・トゥ本にも「プロのようにゞョヌ

クを語る方法」ずいった惹句が぀けられおいたりする。たた日本でも説法に含たれる笑話

や軜口・小咄語りの䌚などから江戞期に職業咄家が生たれたずいう歎史的経緯はよく知

11

ゞョヌクを銖尟よく語るこずは単なるお話フィクショナルなストヌリヌのプレれ

ンテヌションではなく䞀皮の詐術の発揮を䌎う そこにこうした語りの実践をよ

り深く理解するにはCA の知芋に加えおゎフマンの FA の道具立おが圹立぀ず報

告者が䞻匵する根拠がある

ゞョヌクのパンチラむンを効果的にするためにはそこたでの「ネタの本䜓」の郚分で

聞き手をミスリヌドする必芁がある この「誀解」ぞの誘導はゞョヌク語りにおけ

る意倖性認知的䞍調和 cognitive incongruityの意図的達成に欠かせないが米原

2005:18-22それは FA の甚語でいえば“停造”18 ぀たりフレヌムに぀いおの情報

の䞍均等状態が意図的に創り出されおいるずいう事態の境界的なケヌス19 ずしお理

解できる

事䟋10 でも芳察できるようにこうしお意図的誘導によっお䜜り出された「誀解」

られおいるたずえば延広 2011; 䞭川 2014。 18 ゎフマンはプラむマリヌ・フレヌムワヌク以䞋 PFず圌が呌ぶ「玠」の掻動これは

りィトゲンシュタむンのいう「蚀語ゲヌム」ず等眮しお理解しおよいだろう see äž­æ²³ 2015

が倉換されフレヌムが二重化するこずを「転調」ず呌ぶ。フレヌムの二重化ずはたずえば

小説の食事のシヌンを読む堎合読者は PF に属する「食事をする」ずいう掻動ず小説ずい

う特定の「䜜りごず」のフレヌムに属する掻動のふた぀を同時に理解しこなす胜力

competenceを駆䜿しおそのシヌンを享受するずいうこずである。『フレヌム分析』では

そのフレヌムに属する掻動の参䞎者が等しく「いたここで起こっおいるこず」のフレヌム状

況を理解しおいる「転調」以倖にフレヌムが二重化しおいるにも関わらずそのこずを参䞎

者の䞀郚しか知らない「停造 fabrication」ずいうフレヌム倉換の様態もあるずいう指摘が

なされる。詐欺やスパむ掻動やサプラむズのバヌスデむパヌティのような停造フレヌムに属

する掻動の特城は参䞎者間でフレヌム状況に぀いおの情報の䞍均等なこずである。参䞎者

はその情報状態によっお「だたす偎」ず「だたされる偎」に分化する。だたす偎にずっお

のみフレヌムは二重化しおおりだたされる偎はフレヌムを䞀重の「玠」のものずしお

認識しおいるずいうのが「停造がばれる」時点たでの停造フレヌムの参䞎者の圚り様であ

る。 19 話し手ず聞き手の間のトピックに぀いおの情報状態の䞍均等はむしろ䌚話が玡がれおい

きための䞎件だずいえる。停造ずはそうした䞀般的な情報の䞍均等ではなくフレヌムにず

っおの情報状態の䞍均等によっお維持される事態である。報告者がミスリヌドを停造の境界

的なケヌスずしお䜍眮付けるのはミスリヌドを目指す語りには「反事実」を述べないずい

う意味で「うそ」がないからである。ゞョヌクの語り手にずっお遞択的に提瀺される語

られるストヌリヌ内でのいく぀かの「事実」は話し手がそう受け取るであろう「ストヌリ

ヌ」の構成芁玠ずあずで兞型的にはパンチラむンによっお明らかにされる「ストヌリ

ヌ」の構成芁玠ずずいう圢で二重化しおいる。぀たり語り手にずっおは぀かの間の

“フレヌムの二重化”が珟出しおいる。こうしたミスリヌドもしくはミスディレクション

は物語䞀般においおオヌディ゚ンスや読者をストヌリヌ展開に匕き付ける技法ずしお広く

䜿われおいるし「忍び寄る敵の軍勢気付かずに぀かの間の平穏を楜しむ䞻人公たちの運

呜やいかに」ずりわけミステリずいうゞャンルの小説や映画では䞍可欠のものだずいっお

いい郜筑 2012。なおミスリヌドがオヌディ゚ンスや読者に「ばれた」そしおフレヌム

が党参䞎者にずっお䞀重になったあずに通垞「匕っかけた」語り手が道埳的非難を受け

るこずがないずいう意味でこうした゚ンタヌテむンメントにた぀わるミスリヌドはFA の

甚語でいえば「善意の停造benign fabrication」の䞀皮ずいうこずになる。ちなみにマ

ゞック(奇術もしくはむリュヌゞョン )は基本的にはミスリヌドは最埌たで明かされず芳客

は「ストヌリヌ」があるだろうこずを掚枬し぀぀「ストヌリヌ」をフィクションずしお

楜しむずいう挔者からの謎解きなしの特殊なタむプの“善意の停造”である。 See 泡坂 1992

12

がパンチラむンによっお䞀挙的に解消されるずいうのがゞョヌクずいうストヌリ

ヌテリングの基本的な仕組みである

こうした仕組みはゞョヌクに限らず広く冗談䞀般に芳察できるものであるかもし

れない たずえば事䟋のムカデの話ものの足䞋を指す仕草ず「いた入っお

ないかナ。」ずいう発話の盎埌に䞀瞬のミスリヌドずその解消が成立したからこそ

それを冗談ずしお理解し笑うこずができるのだずも考えられる

「お笑い」に぀いお

・ ここでいう「お笑い」ずは1 人たたは耇数の挔者によっお事前に準備されたスクリ

プトもしくは筋立おを参照しながら挔じられる“䜜りごず”フィクショナルなドラ

マであっおその享受者の楜しさfunず関連づけられた笑いがそのパフォヌマン

スの䞻芁な成果の䞀環ずしお参䞎者や関係者に理解されおいるようなもののこずを

指す20

そのゞャンルは挫才コント挫談ものたね・声垯圢態暡写ボヌむズや歌

謡挫談などの音楜音曲ものお笑い萜語笑劇喜劇など倚皮倚様でありそし

おそのそれぞれがその掻動を可胜にするバヌガヌ=ルックマン流にいえば歎史的沈殿

物ずしおの独自のフレヌム化の慣行framing conventionsによっお枠づけられさ

らにはその倖枠である寄垭や垞打ち劇堎や䌚やむベント等々に囲い蟌たれお二重に

制床化されおいる

・ こうした制床化された「お笑い」の堎では笑いずいう行いの様態は日垞䌚話での

それずはシステマティックに違ったものになる21

そうした堎は仕切られ入堎者が限定された䌚堎やステヌゞず客垭の蚭備出入り

口ず通路照明やマむクPA開挔から終挔たでのプログラム挔者の出や入りの段

取りや緞垳ずいったさたざたな慣行や装眮によっお時間的・空間的な枠付けが達成

されそれを参照した参䞎者の掻動によっお「お笑い」の堎ずしおの“状況の定矩”

が維持されおいる

そうした状況の定矩の栞心のひず぀が“ゞョヌク語り”における話し手―聞き手の関

20 そうした「お笑い」パフォヌマンスの職業的挔者には慣行的に「お笑い」ずいう圢容が冠

されその結果そうした「お笑い」タレントが出挔するテレビのバラ゚ティ番組のタむトル

にも「お笑い」が謳われるようになっお久しい。がここではあくたでそうした「お笑い」

タレントの“本芞”に限定しお話を進める。 21 こうした「お笑い」は珟代ではラゞオテレビネットでの番組化ず攟送やその録音・

録画音響・映像および掻字゜フトずしおの商品化などさたざたなメディアテクノロゞヌを

介した再転調rekeyingの察象になりその過皋で公匏及び私的な線集埌者はずりわけ近

幎飛躍的に可胜になったを斜されるこずになる。こうした倚皮倚様な再転調の個別的なフレ

ヌム化の慣行それぞれがそれを可胜にするテクノロゞヌずいわば融合しおいるに぀いおは

今埌倚くの吟味探究が必芁ずされるが本報告では議論の無甚の耇雑化を避けるために基本

的に各皮の「お笑い」のいわゆる“生”の圢態を範型ずしお念頭においお論を進める。

13

係を拡匵し固定化した挔者―オヌディ゚ンス芳客―スタッフや裏方の䞉者の

“分業”である 䞉者のそれぞれが異なった暩利・矩務を割り圓おられおいるがそ

のうちのオヌディ゚ンスは䞀般に客垭に座っお「お笑い」の挔者のパフォヌマン

スを芳賞し心眮きなく笑う暩利ずそしお笑うずいう圢で享受appreciationを衚瀺

しうる関䞎のレベルでそのパフォヌマンスに志向する矩務ずをも぀ずいえる

・ したがっお「お笑い」の堎のオヌディ゚ンスは先に日垞䌚話に぀いお芋たように

他者の笑いをフレヌム倉換のマヌカヌずしおあるいは「笑っおいい察象」を指し瀺

すマヌカヌずしお読み取る必芁はない 舞台の䞊の挔者およびその蚀動を laugh at

可胜なものずしお察象化しオヌディ゚ンスの偎の「われわれ」から切り離しお心

眮きなく笑えるようにするような「状況の定矩」があらかじめ堎の蚭定によっお達

成されおいるからである

日垞のやりずりでは私たちは先述のように面前の事柄や人を笑っお倧䞈倫か笑

うこずが他者の攻撃に぀ながらないか等けっこう现かく気を䜿っおキュヌ合図

や城候を読み自身の笑いの衚出を適正化すべく぀ずめおいる22 それずは察照的に

「笑っおいる堎合ですよ」23 ずいうのが「お笑い」の堎のオヌディ゚ンスに利甚可胜

な基本的な状況の定矩なのである

・ しかしだからずいっお笑う察象の指瀺⇔構成ずいう䜜業が䞍芁になるわけでは

ない 日垞的にゞョヌクが語られる堎合ず同じように通垞「お笑い」のパフォヌ

マンスにも適切な堎所ず挔者サむドが想定するパフォヌマンス䞭のポむントがあり

その「笑う堎所」においおオヌディ゚ンスが laugh at するこずができる察象を構成す

べく挔者サむドの誘導ずオヌディ゚ンスの協同が行われるその垰結ずしおのオヌデ

ィ゚ンスの笑いは圓然挔者に笑いの察象を appreciate したこずを䌝えるずいう働きを

も぀

そしおそうした誘導や協同の過皋の経隓的分析は「お笑い」ぞのコミュニケヌショ

ン論的機胜論的アプロヌチの研究課題のひず぀である

もちろん぀ねに挔者サむドの想定通りにオヌディ゚ンスの笑いが導かれるずは限

らない 芋蟌んだポむントで笑いが匕き出せないこず想定倖の事柄に぀いおオヌデ

ィ゚ンスが笑うこずあるいは特定の“劙な”個人が笑いの察象が同定䞍胜な笑い

声をあげるずいったこずも起こりえなくはない そしおそうしたこずによっお皀

22 ビリッグBillig 2005はおそらくバヌガヌBerger 1997ぞの察抗を意識しながら

笑いずナヌモアの嘲笑的攻撃的偎面の重芁性を匷調する。しかしながら私たちの察面的な

盞互行為ではゎフマンやホックシヌルドも指摘するずおりGoffman1967; Hochschild 1983

他の参䞎者に察しお攻撃的になりうる指し手movesを慎重に避けやりずりの流れを協同

的に維持しようず぀ずめるこずが倚い。 23 フゞテレビ系列で1980 幎 10 月から 1982 幎 10 月たで昌垯で生攟送された圓時人気の

「お笑い」芞人たちが出挔しおいた垯バラ゚ティ番組のタむトル。

14

には「お笑い」のフレヌムそのものがおびやかされるこずもあるだろう24

ずすれば挔者サむドによる笑いの誘導の技法ず䞊んでオヌディンスによる“適切

な堎所”での笑いが他のオヌディ゚ンスにずっおの「ここ笑うずころ」ずいう察

象に぀いおの理解を達成させるマヌカヌずしお働きそれが「お笑い」の堎⇔フレヌ

ムの維持に寄䞎するずいう偎面もたた経隓的解明の俎䞊にあげるべきだろう こ

うした意味でのマヌカヌずしおの笑いの重芁性の傍蚌ずしお「お笑い」の番組収録の

芳客垭に“笑いやすい芳客”や“笑い屋”を仕蟌むずいう攟送局の実践25 やスタゞ

オ収録したコントや笑劇等に埌から笑い声をかぶせるずいう米囜のシチュ゚ヌショ

ン・コメディ起源のテレビ番組の慣行を挙げるこずができる

・ 「笑っおいる堎合」ずいう状況の定矩を兞型化しお瀺すのが「アホ」「バカ」「䞎倪郎」

「ボケ圹」「可笑しなあるいは倉なや぀」「倩然」等々の歎史的には道化fool も

しくは clown; ex. 山口 2007を先蹀ずするこの報告では仮に LC laughable

character26ず呌ぶこずにする文化装眮である こうしたフィクショナルなキャラク

タヌは「お笑い」のフレヌムの䞭でlaughable な存圚ずしお぀たりオヌディ゚ン

スが“自分たち”の偎からたやすく切り離しお笑える察象ずしお提瀺される27

24 ネタが狙ったずころで“受けなかった”り予想しないずころでオヌディ゚ンスの“笑

いを取った”りしたなら挔者は通垞スクリプトや段取りを倉えネタを“緎る”ずい

ったやり方で察応をはかるだろう。しかしずきには笑いの過剰や欠乏が「お笑い」の

フレヌム自䜓を維持しにくくするこずもある。『フレヌム分析』でのゎフマンの笑いぞの蚀

及は“溢れ出しflooding out”ずいう統制しそこねた感情衚出によっお進行䞭の掻動

に察するフレヌム壊しframe breakが起こるずいう事態の䞀環ずしお取り䞊げるずいうも

のだったGoffman 1974:350-57。そこではたずえば参䞎者が笑い転げおしたいある

フレヌム内の掻動の流れが停止を䜙儀なくされるずいった事態を念頭に眮いお事䟋が瀺され

おおり぀たり本報告のキむ抂念である“フレヌム倉換のマヌカヌずしおの笑い”ずはベ

クトルが逆方向の笑いの働きに泚目しおいる。もちろん「お笑い」の堎でも客垭からのあ

たりにも過剰な笑いやオカルトな察象が同定䞍胜な笑いが参䞎者の没入を劚げフレ

ヌムをゆるがすずいった事態は起こりうる。 25 「孊生に倧人気テレビ番組を盛り䞊げる笑い屋バむト」「ベトゞョヌ ベトナムニュヌス」

2012/11/14 http://www.viet-jo.com/news/social/121111065955.html 。これはベトナムの事

䟋だがもちろん日本にも攟送局の求めを受けお登録者を収録䌚堎に掟遣する芳客掟遣䌚

瀟がある。 26 笑劇やコントでは本名で瀺される挔者―芞名で瀺される挔者―圹の䞊での LC ずいう

ようにキャラクタヌをめぐっおフレヌムが䞉重化するが挫才では本名で瀺される挔者

―芞名で瀺される挔者=LC ずいうようにフレヌムは二重化しかされない堎合が倚く぀

たりボケ圹の挔者に LC 的属性が垰属されやすい。いっぜう萜語では芞名で瀺される

挔者が 1 人で LC 圹ず CSC 圹の双方を挔じるため倧喜利番組でのキャラクタヌ蚭定を媒

介にするずいった事情でもない限り挔者は LC 属性を垰属されにくいずいえる。 27 ここでは詳しく怜蚎する䜙裕がないが初代平和ラッパや藀山寛矎のアホ圹から坂田利倫に

至る䞊方の「お笑い」の「アホ」の歎史をたどれば安党な「芋䞋し」の笑いの察象だった䌝

統的な道化の末裔の「アホ」ラッパや寛矎のネタに芋られたようなアホが賢い蚀動によっ

おずきに地䜍逆転を珟出させるずいう趣向もちろん道化の性胜の埒内がおそらくは䞊䞋

関係的=差別的な笑いぞの抵抗感が育っおきたため近幎では絶滅危惧皮になり倧朚こだた

や束本仁志や笑い飯のように「倉」や「劙」ずいう圢で䞋にではなく暪に逞脱するキャラク

タヌが叢生するようになっおきたこずが跡付けられるだろう。

15

・ ここで挔者による笑いの誘導ずそれに察するオヌディ゚ンスの協同の過皋の耇雑か

぀倚様な諞盞の経隓的捕捉のための出発点ずしお次のような仮蚭的なシヌク゚ン

ス・モデルを提瀺したい これはいわゆる“ボケずツッコミ”による笑いの察象の

構成のもっずも単玔なパタンである

LCボケの劙な蚀動 → CSC common sense character=ツッコミによるその

劙さを確認する発話 → ALオヌディ゚ンスの笑い → AL2さらなるオヌディ

゚ンスの笑い

【事䟋 11・12】

いずしにゞンギスカン料理の䜜り方を教えるこいし料理を始めるにあたっお畳が汚

れないように調理具の䞋に新聞を敷き぀めるようにず指瀺する。いずしは「初めおやる

のだから」䞁寧にどの新聞を䜿うか皮類たで指瀺しおほしいずいう。

いずし 朝日新聞がよろしいよ毎日新聞がよろしいよいうおもろたらや

りやすいやん

こいし 指名したらええのんかい

いずし 指名したらええ

こいし 指名したらええのんかい

いずし はいはい

こいし ほんならほんならたぁええがな朝日新聞でも敷ひ

け

いずし 朝日新聞ひきたすか

こいし ひけや

いずし うち読売新聞しかあらぞん

こいし 右腕をたっすぐにしお人差し指で床を指しながら それひけ

オヌディ゚ンスの笑い数人が拍手

こいし あったらそれひけばええねやん

オヌディ゚ンスの笑い

倢路いずし・喜味こいし「ゞンギスカン料理」28

塙 ほんずテレビ぀けるずアむドルばっかりです いたね

土屋 いた倧倉ですね うヌん

塙 がく 子どものころ キャンディヌズ

土屋 キャンディヌズ うたいですけどね

塙 ランちゃん ダマちゃん シズちゃん

28 読売テレビ <平成玅梅亭> 1996 幎 5 月 11 攟送DVD『ゆめよろこびしゃべくり歳時蚘』

゜ニヌ・ミュヌゞックディストリビュヌション 2005 所収。

16

土屋ランちゃん

ちょっず違いたすけどね オヌディ゚ンスの笑い=AL

別のキャンディヌズになっおしたいたしたけどね AL

塙 解散コンサヌトをやったのが 倱楜園球堎

土屋 埌楜園球堎 AL

塙 ずいう球堎になりたしたけどね

土屋そんな淫らな球堎ない  AL 

ナむツ=塙宣之・土屋䌞之「アむドル」29

比范的近幎に挔じられた挫才に限定しおパむロット探査的に数䜜を粟査した この

事䟋 11・事䟋 12 のように䞊の仮蚭におおむね適合するシヌク゚ンスも拟えたがど

ちらの事䟋でも繰り返し CSC のツッコミのあずで芳客が笑っおいる䞀方でボケ―

ツッコミのやりずりはこの単玔なモデルよりずっず耇雑か぀倚盞的であり分析の

ためのより倧きな努力を必芁ずするず認識させられたナむツの「アむドル」ではボ

ケ=塙の倉な発話が突っこたれたあずオヌディ゚ンスが笑うずいうパタンが繰り返される

がいっぜういずし・こいしのセミクラシック「ゞンギスカン料理」ではどちらかの

発話のあずツッコミを介圚させずオヌディ゚ンスが笑うずいうパタンがひんぱんにみられ

たたいずしのほうがボケ的ではあるもののそのキャラクタヌ分業はナむツの堎合ほど

固定的ではないようにみえる

・ 最埌にここたでで取り䞊げもらした「お笑い」をめぐる FA ならではのトピックを

3 ぀だけ挙げおおきたい

第䞀はフレヌムに぀いおの自己蚀及的な語りframe talkや小芏暡なフレヌム壊し

→ 吊定的経隓 negative experienceを通じお笑いの察象を構成するずいう方法で

ある ゎフマンは『フレヌム分析』の䞭の挔劇の FA を詊みた章で䞍条理劇などの

文脈でフレヌムを“いじる”こずの挔出的効果に぀いお論じおいるがその最近の応

甚䟋にたずえば平田 2007 がある近幎の挫才やコントではその皮の技法はもはや

定番化しおいるようにみえる30

第二に最近「お笑い」のネタの構造分析に独創的な芖点を付け加えた井山の“パラ

29 毎日攟送 「北野挔芞通」 2013 幎 8 月 25 日攟送。 30 「ここで笑わないずもう笑うずこないよ」「うちらの挫才二぀か䞉぀しか笑うずこない

から皆さん笑う努力しお」ず投げやりな声でオヌディ゚ンスに話しかけお笑いをずる酒井くに

お・ずおるやあるいは「倢」や「嘘」の話を「珟実」のように延々ず語ったり「私は」

「私は」圢匏のトピックのキャッチボヌル䞲田 2001を阻んだり盞手ずの䌚話を䞀

方的にやめおオヌディ゚ンスに話しかけたり比喩衚珟を字矩通りにずったりずいった

ぐあいに挫才の原型である二者間の䌚話のグラむス流にいえば「公理」を片端から砎

っお笑わせる倧朚こだた・ひびきのように今では比范的䞊の䞖代の挫才挔者の間にさ

えこの皮の技法で受けをずる実践がみられる。

17

レルワヌルド論”井山 2005; 2007をフレヌムの重局化をめぐる FA の発想を基盀

にしお敎理しなおすこずを通じおよりきめ现かく䜓系だった分析の方途がもたらさ

れる可胜性があるだろう31

第䞉に「お笑い」のフレヌムが再転調され別のフレヌムず重ね合わされるずいう事

態もたたFA ならではの研究のトピックである たずえば挔芞コンテストのたぐ

いは以前からあったがずりわけ「オヌトバックスグランプリ」2001~2010

を嚆矢ずするその皮のテレビ番組が「お笑い」に公然ず競技の芁玠を導入した32 そ

うした新しい掻動のフレヌムの付加が挫才・コント・“ピン芞”ずいった各皮挔芞の

パフォヌマンスの諞特城や挔者のむメヌゞオヌディ゚ンスの「笑い」の意味づけ

に䞎える圱響は泚目に倀するトピックだず思われる

結語

・ 本報告では日垞䌚話での笑い珟象ず制床化された゚ンタヌテむンメントの「お笑

い」のいずれに぀いおもその経隓的研究にゎフマンのフレヌム分析FAのアプ

ロヌチがもたらしうる独自の貢献の䞀端を瀺した぀もりである

さらにいえば日垞の笑い珟象ず比范参照するこずで「お笑い」の制床的特城をあぶ

り出せるだろうずいうのが本報告をこのような構成にした理由である

玙幅の郜合で挔者―オヌディ゚ンス芳客―スタッフや裏方ずいう「お笑い」

の䞻芁圓事者のうちのオヌディ゚ンスの笑いに぀いお初歩的な考察をしたにすぎな

いが挔者の笑いはきわめお興味深い題材だし芳察が難しいずいう方法的問題があるが

スタッフや裏方の笑いも無芖すべきではないだろうそれでもいく぀かの「先」に続く

論点を提瀺できたず考える

・ さお今埌「お笑い」の FA を前進させるに圓たっおは(1)挫才・コント・萜語・挫

談等々の個々の「お笑い」のゞャンルの掻動を成り立たせるフレヌム化の慣行ず(2)

31 笑いのネタを生むパラレルワヌルド構成の基本的パタンの䞀぀は挔者のパフォヌマンスが

「垞識的なストレヌトな䞖界」ず「そこから飛躍したずんでない䞖界」のコントラストを提瀺

するずいうものだがそもそもパフォヌマンスで珟出される「垞識的なストレヌトな䞖界」

自䜓がフィクションFA 流にいえば転調でありしかもそれは「桃倪郎」のパロディや『ス

タヌりォヌズ』のパスティヌシュを思い浮かべおみればわかるようにパロディずパスティヌ

シュの違いに぀いおは Hutcheon 1985 参照しばしば垞識=広く流垃しおいるフィクショ

ンに぀いおの知識に担保された絵空事である。そうしたありもしないものに基づくお䌜噺やフ

ァンタゞヌや SF の䞖界がどのようにしお私たちにずっお了解可胜なものになるのかずいう

問いをたおるずき私たちはそうした絵空事の存圚ハリヌ・ポッタヌが䜿う魔法や吞血

鬌やタむムマシンを存立させる“非存圚の存圚論”に぀いお考察しなければいけないずい

うこずになる。 32 スポヌツのように䞀぀のアリヌナで勝敗を競うこずやそこでの勝利が挔者の“栌”を䞊

げるこず「勝぀」ために短いパフォヌマンス時間に倚くの laughable objects が濃瞮しお詰め

こたれるこずオヌディ゚ンスの笑いのボリュヌムがパフォヌマンスの優劣の指暙ずみなされ

がちなこずずいった“競技化”の特城は劇堎や寄垭ずいった原型的な「お笑い」の堎では

おおむね無瞁のものだった。

18

そうしたパフォヌマンスをパッケヌゞ化しお倚くの「その堎にいなかった」オヌディ

゚ンスに届け同時に再転調するラゞオ・テレビの番組や音響・映像゜フト等々のフ

レヌム化の慣行を同定する䜜業が欠かせない33

そうした「お笑い」の各ゞャンルのフレヌムを成り立たせる慣行・技法・テクノロゞ

ヌの研究は萜語においお実挔者の米朝・枝雀が぀けた端緒桂 1986; 桂 1993およ

び埌者の萜語の䞭での実隓的実践のような䟋倖はあるもののほずんど芋られない

・ それをいえば「お笑い」に限らず小説・映画・テレビドラマ・マンガ・アニメ・RPG

ゲヌム・流行歌ポップ歌謡34・文楜・歌舞䌎・マッドビデオ等々私たちは自分

が慣れ芪しんでいるさたざたな「䜜りごず」の䞖界のフレヌム化の慣行に意倖なく

らいに自芚的ではない『フレヌム分析』でのゎフマンの挔劇フレヌムに぀いおの考察は

詊行的なものだしマンガに぀いおの四方田(1999)の先駆的業瞟にも埌続がない

そうした意味でゎフマンの FA アプロヌチは巚倧な未螏の倧陞を指し瀺すもののよ

うに芋えるがしかしそうした足元の䜜業抜きに実効性があるポピュラヌ文化の研

究や文化批評ができるだろうか

・ フィクショナルな「䜜りもの」に぀いおの研究ず聞いおトリノィアルなものずいう

印象をも぀人もいるかもしれない しかしそうずもいえない

「䜜りもの」のフレヌムぞの没頭に日々無芖できない長さの時間を割いおいる人

がたくさんいるがそれだけが報告者の反駁の論拠ではない

ゎフマンが『行為ず挔技』Goffman 1959で瀺しお芋せたようにフィクションの䞖

界同曞の堎合は挔劇での技法を補助線にしお私たちの日垞のいずなみの諞特城を

逆照射しあぶりだすずいったこずも可胜なのである

たずえば私たちがフィクションの䞖界でキャラクタヌずその固有のパヌ゜ナリテ

ィを構成する方法は少なくずも郚分的には私たちが“血肉をそなえた”他者の

キャラクタヌパヌ゜ナリティを同定する方法ず盞同だろう それでもそうした方

法をFA の䞀環ずしお同定する詊みはトリノィアルなものなのだろうか

33 山本らの『萜語の黄金時代』2010はラゞオやテレビずいったメディアが萜語ずいうゞ

ャンルを流行らせるずずもにそのパフォヌマンスにどのような圱響を䞎えたかたずえば

萜語家は寄垭から攟送局の録音宀に出向くようになった時点ではじめお分や秒ずいうレベル

の時間感芚ず出䌚うこずになったずいうような卓芋を跡付けようずした数少ない文献

である。先代䞉遊亭金銬の人気ず圱響は圓時のラゞオずいう媒䜓の特質ず無関係ではなかっ

ただろうし萜語家ずは倧喜利をする人ずいう䞀般の理解⇔『笑点』はテレビの時代に

しか成り立たなかっただろう。 34 報告者自身きわめお限定的な圢で日本の流行歌のフレヌム化の慣行の䞀芁玠を明らかに

しようず詊みたこずがある䞭河 1999。

19

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