Identity of Character and Fictional Work 2

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-1- 人格同一性と作品同一性 ─二次創作としての映画 Peter Pan (2) 黒 田  誠 Welcome, Mother. Discipline. Thats what fathers believe in. We must spunk the children immediately . . . before they try to kill you again. In fact, we should kill them. いらっしゃい、お母さん。さあ躾だ。お父さんがしなくちゃいけないのは、 これだ。子供達に罰を与えるんだ。こっちが殺される前にね。つまり、先に殺 してやるんだ。 首尾よく子供達の地下の家にお母さん役のウェンディを迎えることができて、 早速“躾”と称して仲間を虐殺する蛮行を提案するピーターである。しかし映画 Peter Pan の主人公のウェンディは、ここで見事に機転を利かせて、ピーター のいかにも餓鬼大将らしい粗暴な行動に対処することができている。原作 Peter and Wendy においてはピーターだけのものであった利発さと瞬時の判断を可能 にする芸術家的直観は、2次創作作品のこの映画ではウェンディ自身の保有する 重要な属質として描かれているのである。 I agree that they are perfectly horrid . . . but kill them and they shall think themselves important . . . . . . . I suggest something . . . far more dreadful. Medicine. Its the most beastly, disgusting stuff. The sticky, sweet kind. 確かにそうね、この子たち、本当にうんざりだわ。でも、殺したりしたら、 この人たち自分たちも大したもんだと思い上がってしまうわね。……もっとい

Transcript of Identity of Character and Fictional Work 2

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人格同一性と作品同一性 ─二次創作としての映画 Peter Pan(2)

黒 田  誠

Welcome, Mother. Discipline. That’s what fathers believe in. We must

spunk the children immediately . . . before they try to kill you again. In

fact, we should kill them.

いらっしゃい、お母さん。さあ躾だ。お父さんがしなくちゃいけないのは、これだ。子供達に罰を与えるんだ。こっちが殺される前にね。つまり、先に殺してやるんだ。

首尾よく子供達の地下の家にお母さん役のウェンディを迎えることができて、早速“躾”と称して仲間を虐殺する蛮行を提案するピーターである。しかし映画Peter Panの主人公のウェンディは、ここで見事に機転を利かせて、ピーターのいかにも餓鬼大将らしい粗暴な行動に対処することができている。原作 Peter

and Wendyにおいてはピーターだけのものであった利発さと瞬時の判断を可能にする芸術家的直観は、2次創作作品のこの映画ではウェンディ自身の保有する重要な属質として描かれているのである。

I agree that they are perfectly horrid . . . but kill them and they shall

think themselves important . . . . . . . I suggest something . . . far more

dreadful. Medicine. It’s the most beastly, disgusting stuff. The sticky,

sweet kind.

確かにそうね、この子たち、本当にうんざりだわ。でも、殺したりしたら、この人たち自分たちも大したもんだと思い上がってしまうわね。……もっとい

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い事があるわ。ずっと恐ろしいことよ。それはお薬。ぞっとするような嫌な味よ。べっとりとして、甘ったるいの。

ウェンディは、ピーターが厳格な父親を演じて語る過激な意見に従順に同調してみせるが、“躾”と称してロストボーイズ達を殺してしまう替わりに、もっと恐ろしい罰を与えることを提案するのである。それは拷問である。荒事には慣れきったロストボーイズ達も、震え上がってこの恐ろしい処遇の免除を懇願することになる。

Kill us. Kill us, please. 殺してくれ。お願いだ、殺してくれ。

ところがここでウェンディが、死を与えることよりももっと恐ろしい残虐な拷問の道具として持ち出した“べっとりとして、甘ったるい”味がするというお薬は、原作では全く異なる場面で、しかも父親のダーリング氏の口によって語られていたものだったのである。映画 Peter Panにおいては、ストーリー分岐の結果ウェンディの通う学校のフルサム先生がダーリング氏に出した告発の手紙とナナの銀行でのしくじりというエピソードに変換されたおかげで、残念ながら省略される羽目になっていた場面がそれである。ダーリング家の躾として毎日子供達に飲ませる嫌な味のお薬を、厳格な父親の姿を子供達の前で演じようとして自分で飲んでみせると宣言して、哀れにも墓穴を掘ってしまったダーリング氏の口にした苦渋の台詞が、“べっとりとして、甘ったるいんだ。”であった。マイケルと一緒にお薬を飲むことを約束しておきながら、卑怯にも自分のお薬を隠してしまったのを咎められたダーリング氏が、みっともない言い訳としてジョンに語っていたのが、映画 Peter Panでウェンディが語ることになっていた、この言葉だったのである。

“John,” he said, shuddering, “it’s most beastly stuff. It’s that nasty,

sticky, sweet kind.”p.23

「なあ、ジョン。」ダーリング氏は身震いしながら言いました。「これは、べっ

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とりとして、甘ったるい、嫌な味なんだよ。

様々の矛盾撞着する可能性が因果関係的破綻を来すことなく共存している、多義性のメタ仮構空間の特質を推測させる、取り分け興味深い一例となっているのが、このお薬の味に関する映画 Peter Panの平行記述なのである。同様にして映画 Peter Panでは、姿を見失ったウェンディの弟達の消息を尋ね

るためにピーターが人魚達の千里眼の力に助力を求める場面が、新たに付け加えられている。ネヴァランドへの来訪をピーターに誘われた時、彼女が両親を捨てて家を出る決心をする動機の一つになっていたのが、人魚や妖精の存在であった。しかしウェンディの憧れであった人魚達の、実際にははなはだ敵対的な本性が暴かれるこのシーンは、やはり原作 Peter and Wendyには直接語られていなかったこの仮構世界の潜在的な属性要素を、形を変えて改めて語り直す結果となっている。その様子は、やはり女性の声のナレーションで物語られているのである。

Now, mermaids are not as they are in storybooks. They are dark

creatures in touch with all things mysterious. If Hook had captured

Wendy’s brothers . . . the mermaids would know.

でも、人魚達はお話に書かれていたのとはかなり違っていました。人魚は不思議な知識に通じた不気味な存在でした。もしもフックがウェンディの弟達を捕まえていたのなら、人魚達はそれを知ることができるのです。

大英帝国の産業資本主義を支配していた唯物論的な合理主義に対して疑念を抱く19世紀末の反省的な知識人達が模索していた、科学的世界観とは異なる角度から整合的な宇宙論を得ようとすることを目論む、心霊学的知識と神秘思想を融合した世界解式を具現化した媒介的存在が、神智学等の世界で当時もてはやされていた精霊や妖精達であった。しかし純粋な精神主義の信奉者達が希求したこれらの超自然の存在のいずれもが、ウェンディが心の裡で憧れていた慈悲深い友好的なものではあり得なかったことが、原作 Peter and Wendyの示すダーク・ファンタシーとしての特質となっていたのである。願望の全てが充足される夢の島で

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あるネヴァランドは、理想が実現されたと思われた途端に絶望へと変転するディストピアの正体を背後に隠し持つ、あまりにも不気味な精神の内面世界だったのである。無垢な願望の背後の利己的な自己充足心理を暴いて、人間の心性のあるがままの姿をほろ苦く描いてみせることが、原作 Peter and Wendyの採用した巧妙な創作戦略の一つであった。以下は原作のこの非情な主題を反映する、映画Peter Panで採用された、人魚について交わされるピーターとウェンディの会話である

Oh, how sweet. . . . Are mermaids not sweet?/They’ll sweetly drown you

if you get too close. . . . Hook has your brothers . . . at the Black Castle.

まあ、素敵ね。……人魚って、素敵な生き物じゃないの? /あいつらは君を素敵に海に引きずり込んで、溺れさせるよ。……フックは君の弟達を捕まえたそうだ。海賊の城にいるって。

こうして映画 Peter Panでは、これまた原作には全く言及のなかった“海賊の城”を舞台にして、ウェンディがピーターとフックの抗争を目の当たりにするどころか、最初からこの少女が自ら彼等の血腥い戦いに剣を取って加わる様が描かれることになるのである。映画 Peter Panが海賊の城を舞台に物語るキャプテン・フックの姿は、やはり

原作 Peter and Wendyの記述を巧みに変換しながら、その主題的本質自身は忠実に踏襲したものとなっている。ウェンディの弟達を囮に用いてピーターを待ち伏せしようと企てるフックの語る台詞は、取り分け興味深いものである。優秀な戦略家として、フックは奇襲攻撃の戦術的効果を強く意識して以下のように語っているのである。

Like all surprise attacks . . . it must be conducted…improperly.

奇襲というものは、常に不適切な手順で行われねばならない。

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原作 Peter and Wendyにおいてこの台詞に対応すると思われる部分は、映画Peter Panでは省略されていた、フックが難敵のインディアン達に壊滅的な打撃を与えることに成功した巧みな作戦行動に関する記述である。作者のナレーションを効果的に活かした文章記述は、原作の観念小説としての特徴的な位相を見事に例証するものとなっている。

The pirate attack had been a complete surprise: a sure proof that the

unscrupulous Hook conducted it improperly, for to surprise redskins

fairy is beyond the wit of the white man.

p.107

海賊達の攻撃は、完璧な不意打ちであった。これは無節操な戦術家フックが、この急襲を交戦の常識を外れて行ったことを証明するものである。何故ならインディアン達の裏をかくなどということは、通例白人の思慮の及ぶ範囲ではないからである。

原作者バリが採用した幾分違和感を感じさせる“improper”(不適切)という言葉は、優れた戦術家として常に常識を超越した作戦を大胆に実行することのできる芸術的感性の持ち主であるフックの、霊妙な資質を物語るために敢えて用いられたものであった。しかしここで暗示されていた“海賊”という稼業の、権力と常識に対する反逆者としての哲学的意義性と美学的評価を語る詳細は、映画 Peter

Panでは割愛されているのである。しかしながら原作 Peter and Wendyでは、一際念を凝らした文章記述がフックの常識を逸脱した行動を対象にして施されていたのであった。この直後の記述は、原作 Peter and Wendyの保持する高踏的な観念小説の興趣を、取り分け見事に示すものとなっている。

By all the unwritten laws of savage warfare it is always the

redskin who attacks, and with the wiliness of his race he does it just

before the dawn, at which time he knows the courage of the whites to

be at its lowest ebb. The white men have in the meantime made a

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rude stockade on the summit of yonder undulating ground, at the foot

of which a stream runs, for it is destruction to be too far from water.

There they await the onslaught, the inexperienced ones clutching their

revolvers and treading on twigs, but the old hands sleeping tranquilly

until just before the dawn. Through the long black night the savage

scouts wriggle, snake-like, among the grass without stirring a blade.

The brushwood closes behind them, as silently as sand into which a

mole has dived. Not a sound is to be heard, save when they give

vent to a wonderful imitation of the lonely call of the coyote. The cry

is answered by other braves; and some of them do it even better than

the coyotes, who are not very good at it. So the chill hours wear on,

and the long suspense is horribly trying to the paleface who has to

live through it for the first time; but to the trained hand those ghastly

calls and still ghastlier silences are but an intimation of how the night

is marching.

That this was the usual procedure was so well known to Hook

that in disregarding it he cannot be excused on the plea of ignorance.

p.107

野蛮人達の記録には書かれていないあらゆるしきたりにおいて、攻撃を行うのは常にインディアン達と定められている。そしてこの種族の狡智により、それは夜明け前に行われるものと定められている。この時間帯においては白人の士気が最も低下していることを、彼等は弁えているからである。白人達は程なく起伏のある地勢の頂上部分に急ごしらえの防御策を築くに至る。この丘の下方には一本の川が流れている。水辺からあまりに離れたところに陣を張るのは、破滅を意味するからである。そこで彼等は襲撃の時を待つのである。不馴れな者達は短銃を握りしめ、枯れ枝の上を歩き回っているが、熟練した者達は夜明けの直前まで穏やかに眠りを享受している。この長い闇夜の中を、野蛮人の斥候は草の葉一枚揺らすことなく、蛇のように草地の上に歩を進めていく。彼等の通った後では、土竜が潜った後の砂のように、茂みの小枝はまた道を塞ぐの

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である。彼等が侘びし気なコヨーテの叫び声を見事に真似てみせる折を除いて、ほんのわずかな物音さえも聞こえることはない。その叫びはまた別の勇者によって返されるが、いくつかは当のコヨーテのものよりもさらに巧みなものである。そのようにして夜露に冷やされた刻々は過ぎていく。このような状況を始めて経験する顔を青ざめさせた新参者には、堪え難い緊張である。しかし古参の者にとっては、このおぞましい叫びと、その後に続くさらにおぞましい沈黙も、夜の更けゆく様の模倣に過ぎないものである。これが戦闘における通例の手順であることをフックは周知していた筈であ

る。従って、この手順を無視したことに対する責めにおいては、無知を理由とする弁明は期待できないものとなろう。

この辺りの描写は、原作 Peter and Wendyの中でも最も稠密な文章記述を形成するものになっている。作者のナレーションは、ことさら饒舌に特有の文体を駆使して、フックの採用した例外的な作戦行動の詳細を語り続けていくのである。

The Piccaninnies, on their part, trusted implicitly to his honour,

and their whole action of the night stands out in marked contrast to

his. They left nothing undone that was consistent with the reputation

of their tribe. With that alertness of the senses which is at once the

marvel and despair of civilised peoples, they knew that the pirates were

on the island from the moment one of them trod on a dry stick; and

in an incredibly short space of time the coyote cries began. Every

foot of ground between the spot where Hook had landed his forces and

the home under the trees was stealthily examined by braves wearing

their mocassins with the heels in front. They found only one hillock

with a stream at its base, so that Hook had no choice; here he must

establish himself and wait for just before the dawn. Everything being

thus mapped out with almost diabolical cunning, the main body of

the redskins folded their blankets around them, and in the phlegmatic

manner that is to them, the pearl of manhood squatted above the

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children’s home, awaiting the cold moment when they should deal pale

death.

pp.107-8

ピカニニー族としては、フックがこの慣例を守ることを暗黙の了承としていたのである。従ってこの一夜における彼等の戦略行動は、フックのとったものとは対照的なものとなった。ピカニニー族は、一族の誉れに関わることは全て規定の通りに行ったのである。文明人の驚異の的でもあり、また同時に絶望の源でもある感覚の鋭敏さによって、最初に海賊の一人が乾いた小枝を踏んだ時に既に、彼等は海賊達が島に足を踏み入れたことを悟っていた。そして信じられぬ程の短い間に、コヨーテを模した叫びが発せられたのである。フックが彼の勢力を上陸させた地点と木々の根元にある地下の隠れ家との間の状況は、モカシンを前後逆に履いた勇者によって内密に隈無く探査されたのである。彼等は、その間に小川がふもとにある丘はたった一つしかないことを確認した。従って、フックには選択の余地は全くなかった。この丘に陣を構え、夜明けの直前まで待機するのである。地勢の全てが、ほとんど悪魔的でさえある狡智によって調べあげられていた。インディアン達の主力の一族の華である男達は、子供達の隠れ家の真上で、周囲にたたんだ毛布を並べ、いつもの沈着冷静な態度でしゃがみ込み、敵に死を与える時が来るのを待ち受けていたのであった。

ここではもっともらしいいかにも荘重な雰囲気の記述を用いて、実はあり得ないナンセンスが巧妙に語られようとしていることが分かる。語りの手法を駆使することにより成し遂げられるペテン行為とは、まさしく文学という虚構を語る技の神髄であるに違いない。通例の世の真実や、万人の既に納得する常識などを語る記述は、児戯に等しいものと看做されなければならないのである。現実世界とは全く異なった異世界的基準に従う新規の公理系が、そこには展開されてようとしているからである。この辺りは原作 Peter and Wendyにおいて、論理と科学を超出する最も念を凝らしたメタ記述が選ばれている部分となっている。

Here dreaming, though wide-awake, of the exquisite tortures to

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which they were to put him at break of day, those confiding savages

were found by the treacherous Hook. From the accounts afterwards

supplied by such of the scouts as escaped the carnage, he does not

seem even to have paused at the rising ground, though it is certain

that in that grey light he must have seen it: no thought of waiting to

be attacked appears from first to last to have visited his subtle mind;

he would not even hold off till the night was nearly spent; on he

pounded with no policy but to fall to. What could the bewildered

scouts do, masters as they were of every war-like artifice save this

one, but trot helplessly after him, exposing themselves fatally to view,

the while they gave pathetic utterance to the coyote cry.

p.108

こうして白人達の清廉を信じきっていた野蛮人達は、しっかりと目覚めはしていながらも、心は夜明けに敵の海賊に入念に与える苦痛を夢見ているところを、謀略を弄するフックに襲われたのであった。この惨劇を逃れた数人の斥候から後に得られた証言によれば、東雲の薄明かりの中でそれが見て取れなかった筈がないのは明らかであるにも関わらず、フックは昇りの斜面に至った時でさえ全く前進を休止しなかったというのである。この男の狡猾な脳髄には、攻撃を待つという考えは最初から最後まで全く浮かぶことはなかったと思われる。さらにフックは、夜が明けきるまで待機するという慎みさえも持たなかったのである。ただ攻撃を仕掛けるという以外の戦略は全くなしに、フックは猛襲をかけたのであった。通例の戦略行動においてはいかに精通していようと、泡を食った斥候達は、悲し気なコヨーテの叫び声をあげながら、なす術も無くフックの後に従い、自らの姿を敵の眼前に曝して致命的な危険を招く以外に手は無かった。

斥候とは、戦場の偵察を行う役目を果たす兵士である。フックの攻撃を合図によって本隊に知らせ、攻撃を仕掛けた敵の背後をついて挟み撃ちにすることも出来るのが、この場合の斥候の取り得る戦略行動である。このような一般常識とは

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全く異なる事実と因果関係が、この仮構世界の記述には展開されていることになる。そして読者は、描かれた筈の仮構世界の客観的実質ではなく、むしろその記述の手法自体を鑑賞の対象とすることを要求されているのである。仮構記述における虚偽を語る語り口の及ぼす効果こそが、仮構世界の暗示する本源的な意味性の展開次元をより正確に提示しているのである。当然のことながらフィクションとは、語りの技術とその効果の積極的受容によって成り立つ読者の心理世界であり、形而上的思弁によって確定される超越次元でなければならない。オスカー・ワイルドによって示されたこの芸術論は、アインシュタインの相対性理論と量子論理の一般における受容の後にようやく“科学的汎神論”(scientific pantheism)という概念を通して正しく理解されることとなったのである。原作 Peter and

Wendyは、この異次元的論理空間の周知に先立つ知的背景の許に構築された、極めて先鋭的なエクストラバガンザであった。フックの“不適切な”作戦行動に関する記述はさらにしばらく続けられているが、この興味深い一連の仮構記述の終結は以下のように導かれている。

It is no part of ours to describe what was a massacre rather than

a fight. Thus perished many of the flower of the Piccaninny tribe.

Not all unavenged did they die, for with Lean Wolf fell Alf Mason,

to disturb the Spanish Main no more, and among others who bit the

dust were Geo. Scourie, Chas. Turley, and the Alsatian Foggerty. Turley

fell to the tomahawk of the terrible Panther, who ultimately cut a way

through the pirates with Tiger Lily and a small remnant of the tribe.

To what extent Hook is to blame for his tactics on this occasion

is for the historian to decide. Had he waited on the rising ground till

the proper hour he and his men would probably have been butchered;

and in judging him it is only fair to take this into account. What

he should perhaps have done was to acquaint his opponents that

he proposed to follow a new method. On the other hand, this, as

destroying the element of surprise, would have made his strategy of no

avail, so that the whole question is beset with difficulties. One cannot

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at least withhold a reluctant admiration for the wit that had conceived

so bold a scheme, and the fell genius with which it was carried out.

pp. 108-9

これから行われた、戦闘というよりもむしろ虐殺というべきものの実体について詳細に語るのは、今ここで行うべきことではあるまい。こうして多くのピカニニー族の勇者は命を散らせていったのであった。命を失ったものの全てが、報復をすることが適わなかった訳ではない。“痩身の狼”と共にアルフ・メイソンも倒れ、スペイン本土の治安を乱すことも無くなった。砂を噛み締めることとなったもののうちにゲオ・スクーリーとチャス・ターリーとアルサティア人のフォガティーもいた。ターリーは恐ろしいパンサーの斧に倒された。パンサーは最終的には海賊達の包囲を切り開き、タイガー・リリーと僅かな生き残りを連れて、難を逃れたのであった。この一戦におけるフックの戦術にいかほどの責めを負わすべきかは、後世の

歴史家の判断するところとなるだろう。彼が昇り坂の地点で適切な時刻まで待機していたならば、彼と手勢のもの達は虐殺の浮き目を見ていたであろう。フックの行為の是非を判断するにあたっては、この点をこそ考慮すべきである。彼が敵に対して行わなければならなかったであろうことは、相手に対して自分が新奇の戦術を採用しようとしていることを、通知することであった。また一方、急襲の意義を放棄してしまうことは、彼の戦術を全く効果なきものにしてしまうものであることを考えれば、この一件は好悪の判断を下すにはあまりにも困難な問題となるだろう。少なくともこれほどまでに大胆極まりない戦略を構想したものの知略と、それを実行に移した残忍な才能に対しては、賞賛の念を覚えない訳にはいかないのである。

フックの採用した戦術を総括するこのあたりの記述は、取り分け荘重な、格調高い文体を気取ったものになっていた。その印象は、あたかも歴史書の記述の一部を繙くかのようである。この諧謔と真摯の妙味を正しく理解するには、熟練した大人の知識と教養が必要とされることだろう。実際には極めて単純な事実を持って回った気取った文体を用いて記述することにより、意図的に歪曲された既

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成事実を強引に作り出してしまうという、典型的なペテン的記述技法が見事に完遂されているからである。これはオスカー・ワイルドが「嘘の衰退」において主張した、現象世界的束縛を離れた純正の仮構記述の模範的な一例なのである。それはリアリズムに基づく無機的な世界観を捻転した、極めてアイロニカルな世界認識の存在を示唆している。ピーターの体現する無知と無反省の対極に位置する自省と反射的顧慮が、フックという存在の暗示するものとして示されているのである。この辺りに、思弁的な観念世界構築試行としての原作 Peter and Wendy

の文章記述の妙味を確認することができた。フックを焦点に据えたこの辺りの記述こそが、原作者バリが企図した原形質次元における新たな位相空間の創世行為が読み取れる箇所となっているのである。これに対して映像作品 Peter Panが採用した独自の創作戦略は、この原作のストーリーの構成要素となる部分集合の攪乱と再配置である。いずれにせよ海賊船の船長キャプテン・フックの、美学の殉教者としての属質は反映されているのである。海賊の城にウェンディを連れて降り立ったピーターは、ウェンディにも戦闘行

為に参加することを許可し、用意してきた剣を渡すが、一つだけ約束をすることを要求する。

I brought these. Can you use it? Promise me one thing: Leave Hook

to me. / I promise.

これを使うといい。でも約束してくれ。フックは僕に殺させてくれ。/約束するわ。

ピーターがウェンディに対して語ったこの言葉は、原作では物語の終結の近くでフックとの雌雄を決すべき海賊船における最後の戦いに臨んだピーターが、語っていたものであった。同じ登場人物達の間に交わされた同じ台詞が、物語の終結のクライマックスを迎える場面から、導入部に近い箇所に位置する場面へと移行しているのである。ピーターからウェンディへと主人公の役割が遷移したことに同調して、同一の台詞が異なった背景の許で語られる結果になった訳である。仮構作品世界を構築する集合の元となる属質要素は、2次創作作品の位相を決定

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するそれぞれのパースペクティブに従って、様々に配置を変換することとなる。ローゼンクランツとギルデンスターンを主人公とした「ハムレット」が具現するであろう詳細項目の配置転換と同様に、タイガー・リリーあるいはスミーやトゥートルズを主人公とした「ピーター・パン」物語が要求する配置転換を具現した、様々なポテンシャル平行記述が存在するに違い無い。こうして一人で海賊の城に突入したピーターに城の外で取り残されてしまったウェンディが、思わぬ偶然のお陰でピーターよりも先に、この凶悪な海賊の真の姿を間近に見る機会を得ることになる。いきなり城壁の上に現れてウェンディが目にしたフックの姿は、女性のナレーションの声を用いて以下のように語られている。

Thus Wendy first laid eyes on the dark figure who haunted her stories.

She saw the piercing eyes and was not afraid . . . but entranced.

こうしてウェンディは、彼女のお話に何度も出て来た悪党の姿を、始めてその目で確認することになったのでした。フックの突き刺すように鋭い目を見て、ウェンディは恐怖を覚えることはなく、むしろ魅了されたのです。

キャプテン・フックは、物語の語り手としてのウェンディの精神世界に遠い以前から巣くっていた存在であった。そして目の当たりにしたフックの姿は、ウェンディを一瞬のうちに魅了するのである。それは体制に抗う反逆者の、孤高の姿なのであった。これに対応すると思われる原作 Peter and Wendyの記述は、キャプテン・フックが子供達の地下の家の外で待ち伏せし、ロストボーイズ達全員が海賊達に捕らえられてしまった場面に確認することができる。この絶望的な状況でウェンディが間近に目にしたフックに対して覚えた意外な印象は、以下のような興味深い記述を用いて語られている。

With ironical politeness Hook raised his hat to her, and, offering her

his arm, escorted to the spot where the others were being gagged. He

did it with such an air, he was so frightfully distingué, that she was

too fascinated to cry out.

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pp.111-2

人を小馬鹿にしたような慇懃さでもってフックはウェンディに帽子の縁をあげてみせました。そして腕を差し延べて他の子供達がさるぐつわをかまされているところまでウェンディを案内しました。それがとっても優雅な身のこなしで、びくっとするほど気品のあるものでしたので、ウェンディは心を奪われて悲鳴をあげるのを忘れるほどでした。

地下の隠れ家から乱暴に子供達を引きずり出した時も、フックは女性であるウェンディに対しては恭しく礼儀作法にかなった態度をもって接するのである。帽子をあげて手を差し延べる仕種だけでも、思わずウェンディが心を奪われてしまう程の優雅さなのだというのである。ピーターの持たない、大人であるフックの教養人としての貴族的な特質が語られていたのがこの箇所であった。映画 Peter Panでは、原作には記述の無かったウェンディと海賊達の最初の抗

争のシーンが、これから導かれることとなる。海賊の城の地下で子供達の処刑を行おうとするフックの手下のスミー達に、いきなり闇の中から声をかけるものがある。それは彼等の首領のフック船長の声音を真似たものである。

Mr. Smee? / That you, captain?/Brimstone and gall, man. What do you

think you’re doing? / But we put the children on the rope, captain, like

you said. / Set them free! / Set them free!

スミー君か?/船長ですかい?/愚か者めが、何をしてやがる?/お頭の言った通り、ガキ共をロープに縛ってるんですが?/放してやらんか。/放してやるですって!

不審の思いにかられた手下達は思わず問い返すが、船長の指示は変わらない。

What about your trap? / Set them free, or I’ll plunge my hook in you.

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でも、罠はどうなさるんで?/さっさと放さんか。そうしないとこの鉤爪をお見舞いするぞ。

手下達があわてて子供達のロープをほどいた後に、今度はまた別の声が聞こえて来る。

Mr. Smee? / Aye, captain. / Any sign of him? / No, captain. / Where

are the children? / It’s all right, captain, we let them go. / You what?

/ We let them go. / You let them go?

スミー君?/へい、船長。/奴の気配はあるか?/ありません。船長。/ガキ共はどうした?/問題ありません。放してやりました。/なんだと?/放してやりました。/放しただと?

そこに先ほどの不思議な声がまた響き渡る。フックはいささか動揺しながらも、その声に対して問いかける。しかし返ってきた答えは、フックを愕然とさせるものであった。

Who are you, stranger? / I am James Hook, . . . captain of the Jolly

Roger. / If you are Hook, then who am I? / You are a codfish.

見知らぬものよ、お前は何者だ?/俺はジェイムズ・フック、ジョリー・ロジャー号の船長だ。/お前がフックなら、この俺は何者だ?/お前は鱈だよ。

原作 Peter and Wendyの重要主題であった、近代的知性を身につけた教養人の直面する自己同一性の喪失というテーマは、やはりシチュエーションを入れ替えた変換記述を通してこの映画で語られているのである。意外な展開に思わずうろたえてしまったフックだが、美学に身を捧げた芸術家の装うペルソナの一つであるとされていた海賊にふさわしい直観力を用いて、フックはこの場面の自我の喪失という危機を乗り越えることになる。しかしその過程は、フックに与えられた

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優れた芸術家的感性と同時に、彼を浸食してしまっている教養主義の致命的な限界を露にした、極めて示唆的なものとなっているのである。

Tell me, Hook, have you another name? / Aye. / Vegetable? / No. /

Mineral? / No. / Animal? / Yes./Man? / No! / Boy? / Yes! / Ordinary

boy? / No! / Wonderful boy? / Yes! Do you give up? / Yes! / I am . . .

答えろ、フック。お前には、別の名前があるか?/あるよ。/植物か?/違う。/鉱物か?/違う。/動物か?/そうだ。/大人か?/まさか!/男の子か?/そうだ!/普通の男の子か?/いいや!/すごい男の子か?/そうだとも!降参か?/降参だ!/教えてやろう、僕はな…

ここで機敏な思考力の持ち主であるフックは“当てっこ遊び”(guessing game)を思いつき、ゲームには目がないピーターを巧みに誘導してその正体を嗅ぎ付けることに成功する。こうしてフックは、ピーターの仕掛けた罠をなんとか回避することができるのである。ここで知性に溢れた有能な戦略家キャプテン・フックは、イエスかノーの選択から得られる二者択一の質問を重ねて、消去法からなる一意的な真実の導出を図っている。フックの選んだ質問には、存在物を植物と動物と鉱物の三種類に分類して世界の博物学的総覧を試みた、リンネの分類法が採用されていた。これがフックの思考の基盤となる教養であり、また芸術家的直観力としての限界でもある。1回の試行毎に結果をイエスとノーに分別し、2の乗数に従って全集合から不適合物を排除していく操作を加えることにより、データの総量の中から唯一残された正解を絞り込んで行く手法は、現代のコンピュータの演算処理の手法を用いて当てずっぽうの憶測に代替する推論効果を得る、整然とした論理的情報処理技術と等質のものである。乗数は回を重ねるに従って膨大な数値を示すことになるので、無駄な質問項目を巧みに省くことさえできれば、理論的には意外な程の少ない試行手順で目的の推論を完結させることができるのである。しかしながらこのフックの選んだ極めてメソディカルな推論手順は、また一方一定の回数の質問過程を必ず経る必要のある、機械的な演算処理の手法の限界を超出するものでもあり得ない。フックの理想とするであろう真に女性的な直観力の

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持ち主であるならば、「あなたの正体はピーター・パンですか?」の問いを最初に思いつくことによって、一気に正解へとたどり着くこともできる筈だからである。彼の宿敵ピーターにとっての guessing game(当てっこ遊び)とは、正しくこのようなものでなければならない筈であった。こうしてフックは彼なりの能力を発揮して、手下達を惑乱した謎めいた怪物の

正体を暴き、逆に仇敵を窮地に陥れることに成功するのである。原作 Peter and

Wendyとはいささか経路を違えた経緯を辿りながらも、海上の小岩の上でピーターに手傷を負わせて瀕死の危機に陥れるという結果は、原作 Peter and Wendy

にあったものと同様になっている。ピーターを組み敷いたフックは、勝ち誇って宿敵の死を宣言する。しかしこれに答えてピーターが放った言葉は、全てが冒険と遊戯以外の何物でもない、現象世界の因果的束縛から圧倒的に自由な彼の神格的本性を、見事に表現するものになっているのである。

And now, Peter Pan . . . you shall die. / To die will be an awfully big

adventure.

ピーター・パンよ。今こそお前の死ぬ時だ。/死ぬっていうのは、途轍も無い冒険さ。

実はピーターの語った言葉としてあまりにも有名なこの台詞は、原作 Peter and

Wendyではフックを相手に語られていたものではなかった。フックに深い傷を負わされて満ち潮に水没する寸前の岩の上に取り残されたピーターが、凧を利用してなんとかウェンディだけは救い出した後、一人取り残されて死を覚悟した際の彼の特有の心のあり方を表現する文章記述の中で用いられた文言だったのである。

Next moment he was standing erect on the rock again, with that smile

on his face and a drum beating within him. It was saying, “To die

will be an awfully big adventure.” (p.89)

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次の瞬間には、ピーターはまた岩の上にすっくと立ち上がっていました。いつものようなほほ笑みを浮かべ、体の内側からはドラムが鳴り響くように、力強い鼓動が感じられました。それは語っていました。「死ぬってことは、途轍も無い冒険だ。」

さらに映画 Peter Panでは、この台詞に対する反映記述が最後に一捻り加えて反復されて、二次創作作品としての花を添えることになっている。ピーターとの共闘のお陰で、ウェンディは無事にフックの手から二人の弟達を

救い出すことに成功する。ネヴァランドでの生活にも馴染み、憧れていた妖精達の姿をピーターに見せてもらい、二人で空を舞って女の子らしいロマンティックな場面を演じることができたウェンディだが、これはやはりウェンディを主人公とする映画 Peter Panにのみ出現するシーンである。しかし子供達の両親の役を演じていながらも、妻であるはずのウェンディを“お母さん”としてしか認識することができなかった原作 Peter and Wendyのピーターと同様に、この映画のピーターもまたウェンディに失望の思いを味わわせることとなる。にわかに落ち着きをなくしてうろたえたピーターは、唐突に興醒めなことを言い始めるからである。

Wendy? It’s only make-believe, isn’t it? That you and I are . . . ? / Yes.

/ Wendy? You see . . . it’d make me seem so old to be a real father.

/ Peter. What are your real feelings? / Feelings? / What do you feel?

Happiness? Sadness? Jealousy? / Jealousy? Tink. / Anger? / Anger.

Hook. / Love? / Love? / Love. / I have never heard of it. / I think

you have, Peter. I daresay you’ve felt it yourself . . . for something .

. . or someone. / Never. Even the sound of it offends me. / Peter. /

Why do you spoil everything? We have fun, don’t we? I taught you

to fight and to fly. What more could there be. / There is much more.

/ What? What else is there? / I don’t know. I think it becomes clearer

when you grow up. / I will not grow up. You cannot make me. I will

banish you like Tinker Bell. / I will not be banished! / Then go home.

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Go home and grow up. And take your feelings with you.

ウェンディ?これはただのごっこ遊びだよね。僕と君は…/ええ。/ねえ、ウェンディ。お父さんになんてなったら、すごく年取ったような気がするよね。/ピーター。あなたの本当の気持ちはどうなの?/気持ちって?/あなたはいつもどんな気持ちなの?喜び?哀しみ?嫉妬?/嫉妬か、それはティンクだな。/怒り?/怒りか、それはフックだ。/愛情?/愛情だって?/愛情よ。/そんな言葉は聞いたことがない。/ある筈よ、ピーター。自分でもこの気持ちを感じてる筈よ。何かに、誰かに対して。/一度もないね。耳にするだけでも嫌な言葉だ。/ピーター/どうして何でも台無しにしちゃうんだ?楽しく暮らしてるじゃないか?戦うことも空を飛ぶことも教えてあげた。他に何がある。/色々ある筈よ。/何だい。何があるって言うんだ?/分からない。でも大きくなれば分かって来るに違い無い。/僕は大きくなんかならないね。僕に大きくならせることなんてできない。ティンカー・ベルと同じように追放してやる。/追放なんかされないわ。/じゃあ、家に帰れよ。家に帰って大きくなるといい。訳の分からない気持ちとかいうやつと一緒に。

このやりとりは本来原作 Peter and Wendyでは、子供達の地下の家で夫婦を演じていたピーターとウェンディの間に交わされた会話として描かれていた情景だった。しかし映画 Peter Panでは、ウェンディの願望に従って恋人同士の親密な場面が導かれようとしたところで、ピーターの無粋な裏切り行為は行われる。さらに原作には直接的な記述のなかった、フックやティンクの保持する心理的位相に対する的確な言及さえもが付け加えられている。こうしてピーター攻略を工夫するフックがこの場面を目撃し、ピーターとの不和を計略に利用しようと、巧みにウェンディを誘い出して海賊船に迎え入れることになるのである。ここでも映画 Peter Panでは、ウェンディを中心にしたストーリーとして、全ての詳細事項が焦点を置換されていることが窺える。以下は巧みにウェンディを舟中に攫ってきたフックとウェンディの会話であ

る。

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I’m told you ran away from home. / I had never thought of it that

way. I suppose I did. / How wonderful. / My parents wanted me

to grow up. / Growing up is such a barbarous business . . . full of

inconvenience . . . and pimples. / Things were simpler when I was

younger. / And then the mess starts. The feelings come. Pan is so

lucky to be untroubled by them. / Oh, no. He cannot love. / It’s part

of the riddle of his being . . . . . . It doesn’t have to be this way. Didst

thou ever want to be a pirate, my hearty?

君は家から逃げ出してきたそうだね。/そんなつもりはなかったのだけど。そうかもしれないわ。/それは素晴らしいことだ。/お父さんもお母さんも、大人になれって言うの。/大人になるっていうのは、うんざりなことだ。色んな不都合がある。にきびとか…/以前は何でも簡単だったのに。/大きくなってみると面倒事ばかりだ。気に病むことが一杯ある。パンの奴はいい気なものだ。/でも、ピーターは愛することを知らないの。/そこがあいつの存在の謎だね。でもこんな目に遭う必要はない。どうだい、お嬢さん。海賊になってみたいと思ったことはないかい?

多感な女の子であるウェンディの心情を鋭敏に察して、巧みに彼女の心に取り入ろうとするフックは、主人公であるウェンディの無意識の願望に従って、ならず者の誘惑者の役を忠実に演じきっているようにも見える。フックの誘いかけに答えて、思わず海賊稼業に憧れていた気持ちを打ち明けてしまうウェンディなのである。

I once thought of calling myself, Red-Handed Jill. / What a marvelous

name. That’s what we’ll call you if you join us. / But what would

my duties be? I could not be expected to pillage. / Do you, by any

chance, tell stories? / . . . . . . And they all lived happily . . . ever . . . after.

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“血染めの手をしたジル”って名乗ってみようと思ったことはあったわ。/それは素晴らしい名前だ。仲間になってくれたら、そう呼ぶことにしよう。/でも、私は何をすればいいの?略奪なんてできそうにないし。/君はお話をすることはできるかい?/……それから二人は、末永く、幸せに、暮らしました。

フックに海賊の仲間として加わることを勧誘されたウェンディは、待ち構えていたように海賊の一員として名乗るべき、自身の凄みを帯びた呼称を答えている。映画 Peter Panのウェンディの特有の属質が端的に現れているのが、この台詞である。映画の冒頭にあった冒険物語に憧れる活気溢れるウェンディを、見事に物語る台詞のように思える。場面は、そのまま船上で海賊達にお話をするウェンディの姿を描いている。しかし興味深いことに“血染めの手をした”というこの呼称は、原作 Peter and Wendyではウェンディの弟のジョンが語っていたものなのであった。フックに誘われて海賊の仲間になる意思を打診されたジョンの対応と返答は、以下のように語られていたのである。

Now John had sometimes experienced this hankering at maths. prep.;

and he was struck by Hook’s picking him out. “I once thought of

calling myself Red-handed Jack,” he said diffidently.

p.123

実際、ジョンは数学の試験をしている時に、この思いにかられたことが何度かあったのでした。そしてジョンは、フックが自分を選んで話しかけたことに心を動かされたのです。「僕は、“血染めの手のジャック”と名乗ってみようと思ったことが、ありました。」おずおずとジョンは言ったのでした。

映画 Peter Panでは、フックの巧みな勧誘を受けて海賊に転身することを真剣に考え始めたウェンディは、改めて家に残してきた両親のことを思い出すことになる。そのウェンディの心の裡を物語るナレーションは以下のようなものである。

What would mother think if she became a pirate? But the more Wendy

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thought of her mother, the less she could remember.

もしもウェンディが海賊になってしまったら、お母さんはどう思うでしょうか?でもウェンディがお母さんのことを思い出そうとすればするほど、お母さんの記憶が曖昧であることに気づいたのでした。

そして自らの両親についての記憶がはなはだ頼りないものになっていたことを自覚したウェンディは、にわかに危惧を覚えて弟達を相手に「試験」の形式で両親の記憶を確かめようとするのである。i

What is your father’s name? / My father’s name? Peter. / Michael,

who is your mother? / Well, he got the easy one. / You are my

mother, Wendy.

お父さんの名前は?/お父さんだって?ピーターだよ。/マイケル、あなたのお母さんは誰?/いいな、こいつ、易しい問題をもらった。/君が僕のお母さんじゃないか、ウェンディ。

弟達もピーターと同様に、メイクビリーブと現実の区別ができなくなってしまっているのである。これはピーターならざる普通の人間には取り分け危険なことである。ウェンディは、遂にピーターを捨てて現実の世界に帰還する決心を固めることになる。故郷に残した両親のことを思い出し、自らの意思でネヴァランドを立ち去る決心をするウェンディのピーターとの決定的な破綻は、この“Red

Handed Jill”という呼称を軸にして導かれる結果となるのである。海賊船の動向を察知したピーターは、ロストボーイズ達に告げて語る。

There’s a new pirate aboard the Jolly Roger. The mermaids say she

is called Red-Handed Jill. Another adventure, boys, come on. / Red

handed Jill? She sounds quite fearsome! / Fearsome? She is just

a storyteller. / Just a storyteller? Red-Handed Jill may be a brave

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swordsman. / A girl like her? / Brave or not, I shall run her through. /

Then ready yourself, Peter Pan. For I am Red-Handed Jill.

ジョリー・ロジャー号に新入りの海賊が来たそうだぞ。人魚達の話だと、血染めの手のジルって奴らしい。みんな、次の冒険が始まるぞ。/血染めの手のジルだって?怖そうな名前だな!/怖い?ただのお話屋さ。/ただのお話屋ですって?血染めの手のジルは手強い剣士かもしれないわよ。/こんな女が?手強かろうが、どうだろうが、ぶっすりやってやるだけさ。/それでは剣を構えなさい、ピーター・パン。私が血染めの手のジルよ。

映画 Peter Panのヒロインであるウェンディは、実際に剣を手に取って今度はピーターを相手に戦いの場面を演じさえもするのである。そして引き続いたピーターとの口論の末、ウェンディはピーターに対して決定的な拒絶の言葉を叩き付けることとなる。

I found Captain Hook to be a man of feeling...

フック船長はとても思いやりのある人だったわ。

さらにウェンディは、ピーターに残酷な最後通牒を突きつけてしまうことになる。

Sir, you are both ungallant and deficient. / How am I deficient? / You’re

just a boy.

あなたは格好良くなんかない。出来損ないよ。/僕のどこが出来損ないだって?/あなたは、ただの子供。

ピーターはいつもの通りに応酬する。しかしやり返すウェンディは容赦ない。

I want always to be a boy and have fun. / You say so, but I think it

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is your biggest pretend.

僕はずっと子供のままで、楽しく暮らしていたいんだ。/あなたはそう言うけど、本当はそんな振りをしているだけ。

ピーターの上の台詞も、実は原作 Peter and Wendyでは別の場面で語られていたものである。この言葉は、子供部屋でウェンディと出会った際、家を飛び出して成長することを拒否した自分のことを語るピーターによって述べられていたものであった。

“It was because I heard father and mother,” he explained in a low

voice, “talking about what I was to be when I became a man.” He

was extraordinarily agitated now. “I don’t want ever to be a man,” he

said with passion. “I want always to be a little boy and to have fun.

So I ran away to Kensington Gardens and lived a long long time

among the fairies.” p.32

「どうしてかって言うとね、」ピーターは声を落として語り始めました。「お父さんとお母さんが、僕が大きくなったら何になればいいかを話していたからなんだ。」この部分にさしかかると、ピーターはひどく取り乱していました。「僕は、大人になんかなるつもりはないんだ。」激しい口調でピーターは続けました。「僕はずっと幼い子供のままでいて、楽しく暮らしていたいんだ。だから僕は、ケンジントン公園に逃げ出して来て、ずっと長い間妖精達と一緒に暮らしてきたんだ。」

この映画 Peter Panでは、原作 Peter and Wendyにあった様々な細目要素を再排列して、「ピーターを見捨てたウェンディ」のお話に展開軸が変換されているのである。

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さらに映画 Peter Panでは、ピーターがウェンディに命じた禁忌を破って、フックが意図的に妖精達を殺害する様が描かれることになる。人の不信と絶望が、局所的作用伝達を介することなく命を奪い存在を抹消することになるのが、人の影たる霊的存在の妖精達であった。フックは目にした妖精の背後でつぶやく。

There’s no such thing as fairies. 妖精なんてものは、いない。

原作 Peter and Wendyにあったこれに対応すると思われる場面は、逆にピーターが現実の世界の大人達を殺害しようと企てる箇所にあった。ウェンディが我が家に戻る気持ちを固めたと聞かされて、心の裡で大人達の存在そのものに強い悪意を抱いたピーターの行為を語る記述である。妖精の存在に対する不信が妖精の命を奪い、子供の命の輝きに対応して大人達の命が奪われるという対応関係は、心霊的機構に従って世界を支配する同じ一つの原理に基づくものであるに違い無い。

But of course he cared very much; and he was so full of wrath

against grown-ups, who, as usual, were spoiling everything, that as

soon as he got inside his tree he breathed intentionally quick short

breaths at the rate of about five to a second. He did this because there

is a saying in the Neverland that, every time you breathe, a grown-up

dies; and Peter was killing them off vindictively as fast as possible.

p.102

でも勿論、ピーターは平気ではなかったのです。ピーターは、大人達に対して強い怒りを感じていました。いつものように全てを台無しにしてしまうのです。ですから、自分の木の中に入ると、ピーターはわざと1秒に5回もの早い割合で息をつきました。ネヴァランドには言い伝えがあって、子供が1回息をつく度に大人が一人死んでしまうというのです。ピーターは復讐心に燃えて、できるだけ沢山の大人を殺そうとしたのでした。

当然のことながらこのメカニズムを反転させた対偶記述が、一旦命を失ったティ

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ンクを復活させるために、ピーターがネヴァランドから全ての人々の無意識に呼びかけて、妖精の存在を信じることを要求する場面となる。映画 Peter Panでも映像記述を活かしてこのエピソードは印象的に語られることになる。原作とは少しばかり異なった経緯を辿りながら、やはり結果的には変わること

なくピーターの子分のロストボーイズ達を生け捕りにした後に子供達の地下の家に潜入したフックは、一人眠りに落ちているピーターの姿を見つけて、この永年の仇敵に毒を盛ることを試みる。その凶悪な場面を語る映画 Peter Panのナレーションは以下のようなものであった。

Lest he should be taken alive . . . Hook always carried upon his person

a dreadful poison distilled when he was weeping from the red of his

eyes. A mixture of his malice, jealousy and disappointment . . . it was

instantly fatal and without antidote.

生け捕りにされるようなことがないように、フックは何時も恐ろしい毒薬を携えていました。それは彼が血の涙を流した時、蒸留して造られたものです。悪意と羨望と落胆の混合物で、致死性の、対症薬を持たない猛毒でした。

この場面にぴったりと合致する原作 Peter and Wendyにおけるフックの有様は、以下のように記述されている。

But what was that? The red in his eye had caught sight of Peter’s medicine standing on a ledge within easy reach. He fathomed what

it was straightaway, and immediately knew that the sleeper was in his

power.

Lest he should be taken alive, Hook always carried about his

person a dreadful drug, blended by himself of all the death-dealing

rings that had come into his possession. These he had boiled down

into a yellow liquid quite unknown to science, which was probably the

most virulent poison in existence.

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Five drops of this he now added to Peter’s cup. His hand shook,

but it was in exultation rather than in shame. As he did it he avoided

glancing at the sleeper, but not lest pity should unnerve him; merely

to avoid spilling. Then one long gloating look he cast upon his

victim, and turning, wormed his way with difficulty up the tree. As

he emerged at the top he looked the very spirit of evil breaking from

its hole. Donning his hat at its most rakish angle, he wound his cloak

around him, holding one end in front as if to conceal his person from

the night, of which it was the blackest part, and muttering strangely to

himself, stole away through the trees.

p.115

しかしあれは一体何であろうか?フックの目の赤い部分が、手の届く棚の上に置いてあったピーターの薬の瓶を見つけ出した。即座にフックはこの瓶の正体を推測し、程なく眠っている敵が自分の掌中に落ちたことを理解したのである。捕らえられて生き恥をさらすことの無いように、フックは常に強力な毒薬を

携えていた。彼は手に入れたあらゆる致命的な薬物を自ら調合し、これらを煮詰めて未だ科学の知るところとなっていない黄色の液体を造り上げていた。これはあらゆる毒物の中で最も毒性の強いものであると思われた。この毒薬を5滴、フックはピーターのカップの中に垂らし込んだ。フックの

手は震えていた。しかしそれは恥辱のためではなく、むしろ心の高揚のためであった。この動作を行いながら、フックは眠っているピーターの姿に目を向けないようにしていた。哀れの念のために心が挫けるのを嫌ったためではなく、ただ毒薬をこぼすことのないようにするためであった。それからもう一度、じっと満足そうにほくそ笑みながら、フックは自分の餌食となった敵の姿に目を落とした。そしてまた木の通路を攀じ昇っていったのである。上の出口から身を乗り出した時のフックの姿は、穴から顔を覗かせた邪悪の精さながらであった。海賊帽をならず者らしいぴったりの角度で頭に乗せ、腕を通した外套を、あたかも夜の暗闇から最もどす黒い自らの姿を隠そうとでもいうように体の前で手

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で押さえて、フックは何かをつぶやきながら木々の間をくぐり抜けて行った。

首尾よくピーターに毒を盛った後、子供達の地下の家から立ち去って行こうとするフックの姿の描写がことさらに興味深い。フックの自意識の強さと、独特の美学的性向が窺える場面である。フックは常に自分自身の姿を客観的に捉え、生を送る有様そのものを演じることを忘れない。成熟した人間の自意識こそが、この作品の根幹的主題なのである。そしてフックの悲劇の原因がここにあることは明白である。原作 Peter and Wendyの真の主人公が反省的な教養人のフックであったことを暗示する、極めて印象的な場面であった。この後映画 Peter Panにおいても、ピーターを助けるために毒薬を飲み干して

代わりに命を失ったティンクを、ピーターが現実世界の人々に訴えかけて「妖精を信じる」という言葉を唱和させ、見事に復活させる様が印象的に描かれることとなる。人間の精神の集合体と物理世界の連関を担う崇高な原理となる隠れた変数の存在を暗示させる、典型的なロマン主義的主題が踏襲されている訳だが、映画 Peter Panではさらに、全体性の宇宙論を暗示すると思われるエピソードがここに付け加えられている。ウェンディの跡をつけて子供達の地下の家を発見し、ロストボーイズ達全員を捕らえて縛り上げたフックは、これからネヴァランドの島に起こると思われる数々の変化を予見して、次のような言葉を語っているのである。

A new era begins. “新しい時代が始まる。”

この台詞は原作にはなかったものであるが、原作のストーリーの展開の背後に隠された哲学的主題性を見事に総括するものとなっている。これまで子供達とインディアン達と海賊達の三つ巴の戦いが延々と繰り広げられるばかりで大きな変化を知らなかったネヴァランドに、決定的な変化がもたらされることを暗示しているからである。ピーターのネヴァランドへの帰還と共に海を覆っていた氷が割れ、花々が咲き乱れたのであった。そしてティンクの死に衝撃を受けたピーターの心を反映して、空は雲に覆われ雷鳴が響き渡っていた。自然界のこれらの変化を敏感に察知して、森羅万象の背後にピーターという神格の影響を読み取っていたの

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が、聡明な知略家のキャプテン・フックであった。フックはここで世界の歴史に革新をもたらす転機を感じたのである。この重大な局面をもたらしたのが、運命の女神(モイラ)の名を持ったウェンディ・モイラ・アンジェラ・ダーリングの来訪なのであった。ウェンディはピーターの仲間であったロストボーイズ達までも現実の世界に連れ戻してしまうので、この後ネヴァランドにはピーター一人切りが取り残されることとなる。ピーターという空間と意識の重ね合わせの位相を持つ神格に示されていた精神と時空の連続体の一様相が、宇宙の生々発展と共にその位格の変転の区切りを迎えて、装ってきたペルソナが新たな相転移を遂げようとしていることを語るかのような台詞が、原作 Peter and Wendyの世界を俯瞰した知的な観察者のフックの口によってここで語られているのである。

註i. 原作におけるウェンディの試験の記述は以下のようなものであった。 “What was the colour of Mother’s eyes? Which was taller, Father or

Mother? Was Mother blonde or brunette? Answer all three questions

if possible.” “(A) Write an essay of not less than 40 words on How

I spent my last Holidays, or The Caracters of Father and Mother

compared. Only one of these to be attempted.” Or “(1) Describe Mother’s laugh; (2) Describe Father’s laugh; (3) Describe Mother’s Party Dress;

(4) Describe the Kennel and its Inmate.” They were just everyday questions like these, and when you could

not answer them you were told to make a cross; and it was really

dreadful what a number of crosses even John made. Of course the only

boy who replied to every question was Slightly, and no one could have

been more hopeful of coming out first, but his answers were perfectly

ridiculous, and he really came out last: a melancholy thing.